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手塚治虫の苦しみ

手塚:『重版出来!』では作家がどれほど苦労して漫画を描いているかというのが、読んでいてすごく伝わりますね。編集さんや漫画家の個性が描かれていて、人間の多様性から作品はできてきているんだよっていうのもよくわかります。

松田:ありがとうございます。漫画家さんだけじゃなくて、物を作っている人たちの悩みや、ライバル心を描きたいなと。

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手塚:ライバル心という話では、『重版出来!』四巻で「殺してやりたいと思うほどの嫉妬心」に触れられていましたね。大御所漫画家が作画に苦労していたり、若い才能の出現にプレッシャーを感じて「こいつらさえいなければ」と思ってしまう…そういった作家の闇の部分。それが現れてくるのも漫画なんだろうなと思います。すごく赤裸々ですよね。

じつは、父・手塚治虫の映画に関するエッセイの中に、「かつて僕もサリエリ(※)だったことがある。あるライバルを殺してやりたい衝動にかられたこともある」という文章があったもので…父と重なって思わずあのシーンでは泣いてしまいました。 松田先生自身”どう描いたらいいのか”という悩みも、作中のあの場面には出てらっしゃったと思うんです。

※サリエリ…映画『アマデウス』では、モーツァルトの天才を理解できるが故に激しい嫉妬にさいなまれるサリエリの苦悩が描かれる。

松田:そうですね。後になって気づくことがあります。そのときは必死なんで「何でなんだろう、調子悪いな」としか思わないんですが、振り返って「はー、大変だったな」と。 手塚先生のように情熱的で、わが身を焼き尽くすタイプの方は、本当に辛いだろうなと思います。私には耐えられない。

手塚:漫画業界は手塚治虫が最初に走り出して、後からものすごい才能のある人が出てきて追いかけられて。明確に数字で人気がわかる世界なので、「手塚は古いよ」と言われたりしてしまう。 『重版出来!』の中で、読者の直接的な声がネット上で見られる場面があるじゃないですか。もし父が今の時代に生きていたら、どれだけへこんだかと思います。そういうことを気にする人なので、ヘタすれば描けなくなっていたと思うんです。30代の頃も劇画ブームでノイローゼになっていたこともあるので。その時代に殺してやりたいと思った人がいたんだと思うんですが、今だったら、もっと辛く自分を追い詰めていたんじゃないかと思います。

松田:トップバッターの苦しみは想像がつかないですよね。苦しみ続けるからこそ、手塚先生は手塚先生なんでしょうね。

手塚:父はプライドが高いから、上から引きずり下ろされる自分に耐えられない。編集部から「手塚は古いし人気ないから、いらないよ」と言われる自分に対して、どれほど自己嫌悪に苛まれたか。トップを譲る、とかではなくて、自分そのものを否定されるというところで苦しんでいた気がするんです。それは手塚に限らず、物を生み出す方、とくに商業誌で描かれている方は、明確に数字で良い悪いを評価されるじゃないですか。言われてしまう立場だと、すごくへこむけれど、戦っていかないといけない世界なんだなと思います。

松田:手塚先生がご存命のときは、漫画はまだ今のようにウェルカムな感じではなかったし、お立場もありつつトップに立ち続けるのは凄まじい労苦だったと思います。

手塚:松田先生も、人気作家になられて焦りとか妬みとか、そういうものは出てくることはないんですか。

松田:ありますが、それもネタになるので(笑)。今はそれよりも青年誌と女性誌の描き方の違いで苦しんでます。まるっと青年誌っぽくは描けるのですが、それをやってしまったら、私が描く意味がないし、女性誌と青年誌のいいとこどりをしつつ、かつ青年誌しか読まないタイプの読者さんにアピールするにはどうしたらいいのかと。気持ちよく、楽しく読んでもらうにはどう描けばいいのかと。格闘の日々です。『重版出来!』が終わるまでは、この山を登らなきゃと言った感じですね。

編集部:『重版出来!』の終着点は決めていらっしゃるんですか?

松田:去年の暮あたりに、頭の中にラストシーンの絵が浮かんだんですよ。それで、ああこうやって終わるんだ…と思って。そこに行き着くまでは、まあどう進んでもいいいんですけど、ラストはこれだなと思っています。

編集部:シーンがパッと浮かぶというのは、過去の作品でもあったのでしょうか?

松田:あります。とにかく絵が出るまで待ったりします。その間自分をいい気持ちにしておくのが大切で、机の前にいるのは良くないので、散歩したり、映画観たり、友だちと会ったり…自分自身にストレスを与えているようで、与えてないような感じで、そうすると出てきますね。

手塚:環境は作品に影響しますよね。キャラクターがそれぞれ問題を抱えていて、どこに落ち着くのかなというのは気になりますね。

『重版出来!』の主人公は“出版業界”!?

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手塚:雑誌の読者は男性中心だと思いますが、単行本になると、世代性別問わず読まれるじゃないですか。『重版出来!』は編集部的にはどのような位置づけなのでしょう。

山内:雑誌の読者というのは、『月刊!スピリッツ』の場合、男性は六割くらい、女性は四割くらいです。参考までに、『週刊スピリッツ』の場合、約七.五割が男性です。『重版出来!』の単行本の読者は、男女半々くらいですね。今は少女漫画も男性が読まれたりしていて、面白いものは男女問わないと思うんです。ですから、私はそのあたりの「男性、女性の差」というようなことはまったく気にしていなかったんです。ただ、『重版出来!』の主人公は編集者の黒沢心ではありますが、“漫画”自体とも言えるんです。“漫画”というものの周辺にいるさまざまなキャラクターのうち、今回はこの人とこの人が頑張る話、というような。 男性向け漫画では「主人公を軸にした物語」が多いですから、編集部の先輩から「主人公が主人公っぽくない、何だか不思議な漫画だね」と言われたこともありました。

手塚:それに、主人公(黒沢心)の成長はあまり描かれていないですよね。心ちゃんは物語の中心にいて、狂言回しのような存在で、その周りの人間ドラマが描かれている。心ちゃんは意外とあっという間に成長している。もともと芯の強い女性として登場していますからね。それより、漫画を作るためにどれだけの人間が苦労しているかというドラマがすごく面白くて、本当に多様性の中で生まれているんだと思いました。

松田:今まで、本は工場から届いたものが勝手に書店に並んでいるものだと自分も思ってたんですが、書店員さんがこんなに売り場の配置にこだわったり、このマンガ売りたいからポップを置きます、というようなことに、『重版出来!』を読んでから目がいくようになったという感想を頂いたりします。

手塚:本の装幀で、この色味は目立つから…とかもありますよね。

松田:『重版出来!』を読んで漫画への愛情が湧きだした、という感想もいただいて嬉しかったですね。 一番気をつけなきゃいけないのが、自分の周りが漫画のプロみたいな人ばかりなので、これくらいは説明をしなくてもわかるだろう、という気持ちで描いてしまうことなんです。そうすると、出版業界ではない人は、「あー、わからないや」ということがある。他職種の方々に気持ちよく読んでもらうには、どうしたらいいんだろう…というのは、ずっと考えています。このくらいの内容ならわかるだろう、とネーム(コマ割りや構図、台詞など、内容がわかるように、おおまかに描いたもの)を描いても、知らない人のほうが多かったりして。読者さんがストレスなく読めるようにする工夫の積み重ねですね。

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