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手塚るみ子さんをホストに迎え、毎回ゲストから自分の分岐点となった局面を伺い、 創作の秘密を掘り下げていく対談企画・Crossroad。

第三回目のゲストにお迎えしたのは、漫画家の松田奈緒子さん。現在『月刊!スピリッツ』誌上にて女性漫画編集者を主人公にした話題の作品『重版出来!』を連載されています。

雑誌『コーラス』でデビュー以来、女性向け漫画を中心に発表し続けていた松田さんですが、近年青年誌へと発表の場を広げて以降、さらに多くの読者の目に触れる作品を執筆されています。

松田さんの”自分の分岐点となった局面”とは?『重版出来!』の担当編集者、山内菜緒子さんも交えて、会話が始まりました。


恋愛ものより「働く女の人」の少女漫画が好きだった

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松田:この絵は、『はいからさんが通る』(大和和紀)を読んでいたときの絵です。私が小学校の四年生か五年生の頃ですね。当時は団地の五階に住んでいたんですけど、友だちが『はいからさんが通る』の単行本を貸してくれまして、母親が仕事から帰ってくるのが、だいたい夕方六時くらいなんですが、辺りが暗くなっても、漫画を読みふけって母親が帰ってきて「あんた、こんな暗いところで何しよってね」と言われて、我に帰ったりして(笑)。それで「どうして私はこの漫画の世界の中にいないんだろう…」と思っていました。 当時の出来事が、漫画家になろうと思ったきっかけになっている気がします。

手塚:漫画っ子だったんですね。

松田:今ならDVDとか観ていると思うんですけど、当時の長崎県(松田さんの出身地)にはレンタルDVDもないし、そもそもビデオデッキすらない。そんななかで楽しみといったら、友だちと遊ぶことと、TVを観ること、そして漫画を読むことぐらいだったんですよね。純粋に漫画で育ってきたことを考えると、幸福な子ども時代だったなと思っています。

手塚:親御さんも、漫画読んでOKという感じだったんですか。

松田:うちはもう超放任主義でした。何にも言われなかった。本自体がうちになかったんですけど、親と一緒に本屋さんへ行けば『なかよし』や『りぼん』とか、雑誌は買ってくれていたんですよね。だから漫画は何でも読ませてくれていました。

手塚:大体の親は、「漫画ばっかり読んでないで、勉強しなさい」というか、「漫画も何でも好きに読んで、勝手に外で遊んでなさい」っていうかのどちらかだと思うんです。 ご両親も漫画は読んでいたんですか。

松田:父親が『じゃりん子チエ』(はるき悦巳)を読んでいました。あとは、『ゴルゴ13』(さいとうたかを)とかかな。

手塚:松田先生が一番印象に残っているのは、先ほどお話に出た『はいからさんが通る』なんですか?

松田:“この漫画の世界の中に入りたい”と思ったのが、『はいからさんが通る』ですね。 後で気がついたんですけれど、私は「働く女の人」が好きみたいですね。『はいからさんが通る』も主人公の「紅緒さん」が働いていたんですね。 どうも自分が好きな少女漫画は“社会の中へ転がり出て働かなきゃならない”という境遇に放りこまれた少女たちが多くて、そういう傾向の作品がすごく好きでした。 『キャンディ・キャンディ』(水木杏子/いがらしゆみこ)も好きでしたが、あの作品も働いていますし。少女漫画の定番の「恋愛」とかはなぜか興味が持てずで(笑)

手塚:「働く女の人が好き」、という意味では、松田先生が現在執筆中の作品(『重版出来!』)にもつながっている気がしますね。

松田:そうなんですよ。自分が描いているものは、女性がみんな働いているんです。

手塚:私は松田先生の漫画は『コーラス』で初めて読ませていただいたんです。 その作品の多くは、女性の活躍や自立を描かれている印象があったので、今のお話を聞いて「やっぱりそうだったんだ」と、すんなり納得しました。

松田:自分ではずっと気がつかなくて、そういう話しをさせていただく機会があって、初めて気づきました。

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漫画は“最後のプライド”だった

手塚:漫画を描き始めたのも、この絵のときくらいですか。

松田:紙に鉛筆で描いていたのは、小学校五、六年生の頃だったかな。

手塚:その頃に漫画を読んで、以来、ずっと漫画家になりたいと思っていたんですか。

松田:そうですね。“なりたい”というか、“なるもの”だと思っていました。歳を取ったらお婆ちゃんになるように、私は漫画家になるんだ、と。でもふつうは模写とかする思うんですが、私の場合は、ぜんぜん努力もせず、ただ漫画を読み、ノートに鉛筆でオリジナルの漫画を描いて、友だちに読ませたりしていたんです。 それから、中学二年生くらいだったかな…ペンで漫画を描いて、雑誌に投稿し始めたんです。

手塚:友だちに漫画を描いている子はいたんですか。

松田:いませんでした。私は友達に「似顔絵描いて」とか言われたりして、大人気でしたよ(笑) みんなから「なおちゃんは将来漫画家になるんだ」と言われてたんですが、志望した高校のデザイン科を受験したら、失敗したんです。それからは、みんな腫れ物に触るようになってしまって。「なおちゃんは漫画家になれないんだ…」という感じです。 自分でも、受験に落ちたことで、夢を否定されたような気がして。高校入学後は、友達もつくらず誰とも口をきかないで…そこから三年間、ひたすら小説を読んで、かなり暗い高校生活を過ごしました。漫画の投稿も続けていたんですが、ぜんぜん引っかからなかったですね。

手塚:全部自分で抱え込んで、悶々としているわけですよね。周りに話してわかってくれる人はいたんですか。

松田:私が行きたかった高校のデザイン科には、谷川史子さんがいらしていて。当時、谷川さんは学内の漫研で作品を描いてらして私も誘っていただいたんですが、参加しなかった。もし誰かが自分の漫画を否定したらと、どこかで怖かったんだとおもいます。 自分の実力を知るのが怖かった。当時の私にとっては、漫画が最後のプライドだったので。もしあれで、自分が漫画でもたいした人間ではないんだと思ってしまったら立ち直れなかったと思います。

谷川さんはその後、高校在学中に漫画家デビューなさったんで、私が上京したあとも連絡をとって、いろいろアドバイスしていただいたりしていました。 谷川さんがいたので、漫画家になるという夢を捨てないでいられたというか、谷川さんのそばにいれば、「何とかなるんじゃないかな」みたいな気持ちがありました。

手塚:唯一の救いみたいなものですね。松田先生はその後、一度OLになられてるんですよね。

松田:東京に出たくて、寮がある会社を選んだんです。寮があれば親にお金のことで迷惑をかけないし、そこで一年八か月働いて、ひとり暮らしできるくらいお金を貯めまして、その時ちょうど木原敏江先生がアシスタントを探してらして、運良く拾っていただいて、そこから漫画の生活がスタートしました。 二十七歳のときに、デビューできて、自分の描きたいようにやっていたんですけれど、当時は周囲に対して「何で私の良さがわからないの?」 という風に、自分で努力を一切しないのに思っていました(笑)

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