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手塚るみ子さんをホストに迎え、毎回ゲストから自分の分岐点となった局面を伺い、創作の秘密を掘り下げていく対談企画・Crossroad。

一回目のゲストは『YAWARA!』、『パイナップルARMY』(原作・工藤かずや)、『MASTERキートン』(脚本・勝鹿北星 長崎尚志)、『20世紀少年』、『BILLY BAT』(ストーリー共同制作・長崎尚志)など数々の代表作を持つ漫画家、浦沢直樹さん。

1999年に『MONSTER』、2005年に『PLUTO』(原作・手塚治虫 監修・手塚眞 長崎尚志プロデュース) で過去二度に渡って手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。手塚るみ子さんのリクエストで今回の対談が実現しました。

幼年期に手塚治虫から多大な影響を受けたという浦沢さん。多数の作品を生み出し続けている創作現場へとお話を伺うために訪問しました。

仕事場に一歩足を踏み入れると、壁一面に配された本棚に目を奪われます。所狭しと並んだ書籍の中には手塚漫画が置かれた一角も。漫画のページを捲りながら二人の対談が始りました。

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-漫画家のライフスタイル-

手塚:すごい蔵書ですね。私は雑誌掲載時には父の作品をあまり読んでなくて、単行本になってから読んでました。

浦沢:僕らの時代、単行本は主流じゃなかったんですよね。

手塚:この間、手塚治虫の元チーフアシスタントの福元一義さんがテレビに出られていまして、それが『1位じゃなくっていいじゃない』というテレビ東京の番組だったんですけど、福元さんも漫画家を目指して、一度は漫画家になったのに、最終的にアシスタントで終えてしまった時に「自分の作品よりも、手塚先生の作品が1つでも多く世に出たほうが良いから」ということを言ってくださったんですよ。

浦沢:漫画家になるのとアシスタントになるというのとは、別の資質なんですよね。さらに売れっ子漫画家になるというのはまた別で、全部資質が違うんですよ。だから、例えばテレビ界でいえば、AD(アシスタントディレクター)という役割がその人の資質にとっても合う人がいる。うまい食べ物を買ってきてというと、本当にうまい食べ物を買ってきてくれる。それとは別に社長の資質がある人もいる。位の上下ではなくて、資質としてその仕事にその人があっているのかというものがあって、社長の資質がある人がADをやったらきっと下手だと思うんですよ。社長として活躍出来たとしても、その人はADの役割には向いてないんですよ。

手塚:そうかもしれないですね。

浦沢:漫画家の資質の人、アシスタントの資質の人というものはありますから、そこの仕事にぴったりはまるかということなんですね。手塚先生の漫画を支えた人とか、黒澤明の美術を支えた人とか、たくさんそういう人がいるじゃないですか、そういう人がいたからこそ作品は出来あがるので。

手塚:そうですね。うちの父は誰のフォローも出来ないタイプだと思いますね。周りが一生懸命に支えて、ひとりの人間としてやっていけたんだろうなと思います。だから、福元さんがいなかったら、作品の量産するペースとかが違っていたんだと思います。あの方がいたからこそ、これだけのタイトルが残せたんだと思います。そのなかで、3タイトルくらい私のわがままで父の時間を取ってしまって描けなかったものもあるんですけど(笑)。

浦沢:僕はデビューの頃からずっと仕事の受注やギャラ交渉も全部自分でやっています。周囲から驚かれるのですが、僕はなんとなくやってきちゃった。

手塚:最近は漫画家先生もマネージャーをつけてることが多いですよね。あと意外だったのは、浦沢先生はご家庭を仕事よりも優先されているんですよね。

浦沢:うちの家庭は「漫画は二番目」という決まりがあって、漫画が生活の一番じゃなくて、家庭が一番です。仕事中でもインターホンが鳴って「ご飯よ」と呼ばれると、どんなに乗って仕事をしていても筆をおかないといけないんですよ。それは30年間の決まりなんです。「まずご飯を作った人のことを考える」と妻が言うんですよ。なるほど言うとおりだなと。

手塚:それはご結婚されて、生活の中で作っていかれたんですか。

浦沢:妻は僕が漫画家になる前の学生時代から知っているので「仕事でヒーヒ―言っているのは、あなたらしくない」と(笑)。健康管理は完全に妻に任せています。

手塚:そうですね。仕事をこなすためにも健康管理も、時間の管理も睡眠もというのは、奥様が一番気遣う役割になるんでしょう。

浦沢:週刊連載の作業は短距離走で駆け抜けるかんじだと思います。やっぱりある量が出てこないとムーブメントは作れない産業なので、多少無理をしてでも量を作らないといけないんでしょうけどね。

手塚:ご家庭のことを優先した場合、睡眠や仕事などライフスタイルはどう配分されているんですか?

浦沢:この十年はかなり仕事を絞ってますよ。身体を壊してドクターストップかかった時もあったので。今は淡々と月に24ページを二話分で48ページは描きますけど、それ以上はなるべく描かないようにしています。

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手塚:それ以外には、イベントや取材といったこともされてますよね。

浦沢:『浦沢直樹の漫勉』というTV番組をNHKで企画したり、音楽を作ったり漫画以外の動きがとれる時間が多少出来ますね。

手塚:プロデューサーも出来る方だとみなさんに知られているんですね。『漫勉』は次の放送もあるんですか?

浦沢:そうですね。一応そのつもりです。『漫勉』企画の発端は、一般的に漫画制作の過程が知られていなくて、毎回外に出る度に「漫画家とは」から説明する状況がいつまで続くんだろうという事を漫画家さん達と仲間内で話題にしていたんですよ。大友克洋さんも「なんとかアーカイブしないといけないんじゃないの?」 と言っていたし、始まりはそんなかんじですね。

手塚:漫画家の先生方みなさんが思っていらっしゃたんですね。私も父親が漫画家でありながら、漫画家の仕事場のことを知らなかったので、どうやって漫画が出来あがってくるのだろうと興味を持って観ていました。

浦沢:毎週簡単に印刷物で手元に届いてしまうと、読者はその価値がわからなくなるんじゃないかと思ってました。漫画家の皆さんが超絶技法で毎週地獄のようなスケジュールでみなさんにお届けしているというのは一般の方は想像する事すら出来ないんですよね。そこに深い断絶の溝が出来てしまっているから、まずそこは埋めないといけないと思いました。一筆一筆描いているんだというのを見せたいと思って番組をやったら僕らが思っている以上の反応があったんです。そこそこ知らないだろうなと思っていたら、番組が終わった後の何万という反響のツイートがあってみんな吃驚したといっていました。「ほらぁ、やっぱりみんな知らないんだよ」と(笑)。

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手塚:私は父親が漫画家でも分からないことありましたからね。

浦沢:超絶技法と一般の生活に差がありすぎるんですよ。想像を絶し過ぎてしまって。ひとつの絵を描くのに誰手も一般の人はマゴマゴしてしまっているのに、あっという間にドラマがついて演技がついてきれいな絵がどんどん出てくるんですよ。そのあまりの違いを想像出来ないんですよね。

手塚:描くペースというのは技術としてまず分からないですね。すでに描かれた原稿は、家の中で転がっていたので、見ていたんですけれど、実際に描いてる速さを実感することはなかったですね。


-浦沢作品の創作秘話-

-仕事机には作業中の貴重な原稿やネームが・・-

-仕事机には作業中の貴重な原稿やネームが・・-

編集部: 浦沢さんのネームは凄く細かく描かれているんですね。通常のネームは丸チョンで描いてるイメージです。

浦沢:デッサンも構図も演技も出来あがっているでしょう。こういう技術があるので大量に早いスピードでものが出せるんです。頭に構図が浮かんだらすぐに頭に浮かんだものを一瞬で描く。えーと・・・、とならないんですよ。これはネームなので、完全に白い紙にドラマと構図を作っていく段階ですが、凄いスピードで描くんです。

編集部: コマ割りなども直さないのでしょうか?

浦沢:凄いスピードで描いたネームをゆっくりと原稿用紙に描き直す段になって、これ逆かな、とか描き直すと何かおかしくなってしまうんです。だから逆にネームの通りの構図にするために設定とか変えてしまうこともあります。読みやすいとか、ちゃんと感情が流れているというのは、熟考しないで勘だけで描いているからでしょうね。

手塚:それは長年培ってきたなかで、出来あがっていったんですか。

浦沢:5才頃から描いていた経験ですね。1965年頃『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」を読んでいたあの頃から、ずっと培って来たので。頭の中にすでに漫画があって、それをかき集めて作るんです。よく将棋に例えるんですが何手先みたいにと考えるんです。

手塚:そういういった時に食事で呼ばれてしまったらどうするんですか?

浦沢:それはもちろん、食事ですよ(笑)。一度止めてもう一回見ると別のアイディアだったりここにミスがあるとか気づくんですよ。こんなにスピードが速いと、逆に流れていってしまうので、立ち止まる方が良い場合もあります。僕は5ページざっと描いたら、すっとやめて、また見直して描いたりしますね。ここはリズムおかしいなと思ったらここで一コマ足すとか。

手塚:ネームの前にプロットなど書かれた上でネームにおこすんでしょうか?

浦沢:プロットはただのメモ書きですね。打ち合わせの時にワーッ!と書いたような文字を見ると、何かいてあるか分からないんですけどね。なんだっけこれみたいな(笑)

長崎尚志さんとの打ち合わせの時は、今の『BILLY BAT』の場合だと一話分24ページなんですけど、こんな内容とか話をしながら頭の中でページ配分をしていて「今18ページくらいだから、あとワンエピソード入りますよ」という感じです。

手塚:思ったよりページ数が余ってしまった場合は、例えば絵を大きくしたりして全体的にページ調整をされているんですか?

浦沢:そういう事はあまりないですね。僕は絵を大きくするとかあんまりしないんです。そういう場合は他のエピソードを入れてますね。コマの大きさというのは、演出なので、ページ数が余ったからといって変えていたら演出ではなくなってしまいますので。あとは、長くなってしまった時はネームをハサミで切るんですよ。それをテープで止めて、繋ぎ合わせるんですね。

手塚:コマや絵の大きさによって、読むテンポが変わってしまいますよね。

浦沢: 僕は見開きはほぼ使わないですね。見開きはその作品の最大のクライマックスなので、軽く扱ってしまうと、見開きのデフレが始まってしまうんですよ。見開きが最大の画面なので、ここぞという時のために取っておくんですね。

手塚:原稿はGペンで描かれているんでしょうか?

浦沢:最近は日本字ペンなんですよ。カブラペンよりも細い線が出るかな。カブラペンとGペンの間なんですよね。『MONSTER』は丸ペン一本を使っていたんですけど、丸ペンは年齢が若くないと使いこなせないかも。大友さんも『AKIRA』の時ずっと丸ペンで、古くなった順に1号2号3号とつけて、線の太さを変えていたみたいですよ。

手塚:年取って使えなくなるというのは、自分が変わるんですか?

浦沢:変わるんですね。丸ペンはパワーを必要とする感じがします。細い線から、太い線まで緩急つけるのに、相当体力を使うんですよ。それで過去に身体を壊したので、それから丸ペンを使うのをやめたんですよ。1日10数時間描いていて、鎖骨から肋骨にかけて相当固まってしまって、左肩が脱臼みたいな状態になっちゃったんですね。鎖骨や肋骨は柔軟性が大事なので、それが硬直してガッチガチになっているところに無理して描いていたら、朝起きた時に左肩が付いてこないんですよ。悶絶して、ちょっと痛みで描けませんと編集部に伝えたら「わかりました。今の原稿仕上げたら倒れてください」と言われました(笑)。

手塚:残酷ですね・・。

浦沢:結局病院で痛み止め打って原稿を仕上げました。手塚先生に比べたら半分にも満たないんですが、月6回〆切りというのを20年間こなして、月130ページくらい描いていたんですよ。それでいつか身体を壊すなと思っていたんですが・・。でもその程度のことで自分に身体の危険信号が来たんだからラッキーだなと思いました。とにかく仕事すると結局身体に歪みが出るので、週一回トレーナーに診てもらっています。

昔の手塚先生のドキュメンタリー映像を見ると、全然前のめりにならない姿勢で描いていますよね。

手塚:TVの取材だとカッコつけるから、普段からそうだったのか分からないですけど、寝床でねっころがって書いている時は、かなり目を絵に近づけて描いていましたね。

=> -TV『漫勉』制作のこだわり-

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