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月刊少年チャンピオン(秋田書店)にて連載され、単行本の発行部数が100万部を記録した「ハカイジュウ」。一度は完結したものの、12月6日(土)発売の月刊少年チャンピオン1月号から第二部が連載が再開される。そんな「ハカイジュウ」の作者・本田真吾先生とはどんな人物なのか?MangaStyle編集部が話を聞いてみた。

「ハカイジュウ」1巻表紙。

「ハカイジュウ」1巻表紙。


MangaStyle編集部(以下、M):本日は本田先生の漫画家になるまでの遍歴から、「ハカイジュウ」第2部制作の秘話までをお聞かせいただきたいと思います。よろしくお願い致します。
本田真吾先生(以下、本田):はい、よろしくお願いします。

M:早速ですが、本田先生は小さい頃はどんな子供でしたか?
本田:覚えているのは幼稚園の頃「キン肉マン」を毎週欠かさずビデオに撮って観てたことですね。空で台詞が言えるくらい好きでした。今でも覚えていますし…。あとは絵も一応好きで、「キン肉マン」のサンシャインなんかを幼稚園児なりに立体的に描いたりしてました。仲いい友達で絵がうまい子がいたのでそいつと切磋琢磨しながら描いて。それから小学生に上がると細かい迷路を描くっていうブームがきまして(笑)。

M:あー、ありましたねえ(笑)。
本田:それにハマって、細かい迷路を家で1人ずーっと描いていました。中心から描いていってノートいっぱいになるまで描くんですね。そのときに一気に視力が下がってしまったんですが、迷路描くのやめたら普通に戻りました(笑)。その頃はあまり漫画を読んでなかったんですが、五年生くらいになって「ドラゴンボール」が載ってるということで週刊少年ジャンプを読み出して。

M:先生は現在36歳ということですので、「ドラゴンボール」だとほぼリアルタイムな世代ですね。
本田:そうですね。僕が読みだしたのは2回目の天下一武道会編あたりで、そこからラディッツ、べジータなんかが登場して…。その辺で中学1年くらいでしたかねえ。

M:ジャンプ以外に漫画雑誌は読まれていました?
本田:いや、ジャンプをひたすら読んでました。(ジャンプ発売日の)月曜日は人と会いたくないんですよ(笑)。ジャンプ読むから誘わないでくれって友達にも言って。それで月曜日に買ったジャンプを一週間ずーっと読むっていう(笑)。だからジャンプ以外読んだ覚えがない、というか他の雑誌を読む機会がなかったんですね。

M:「ドラゴンボール」以外で好きなジャンプ漫画は?
本田:「幽遊白書」とか「ダイの大冒険」とかはもちろん読んでました。それから中学2年のときに学校で「寄生獣」が流行って回し読みしたんですけど、その時に「ジャンプの漫画以外にもこんな面白いのあったんだ!」って知り、「うしおととら」とかを読むようになって。でも人生のバイブルは「寄生獣」ですね。

M:「寄生獣」と「ハカイジュウ」のデザインは繋がるところがある気がします。当時から特殊生物のようなグロテスクな絵は描かれていたのですか?
本田:全然描かなかったです(笑)。どっちかっていうと棒人間みたいな絵描いてましたね。棒人間がかめはめ波を打ってるみたいな。あとドラゴンボールの爆発、爆風みたいなのばっか描いてましたよ(笑)。人物は適当に棒人間で、その先が爆発してるってのを一生懸命描いていました。

グロテスクな特殊生物が「ハカイジュウ」の魅力だ。

グロテスクな特殊生物が「ハカイジュウ」の魅力だ。

一日一コマとか描いて、あぁやったぁ‥頑張ったなぁ‥今日って(笑)

M:なるほど。中学・高校の頃の話をお伺いしますが、部活動は?
本田:部活はハンドボール部を一応やっていて。だけどあんまりやる気のないほうだったので中2くらいのときに、みんなで一斉に辞めたんです(笑)。高校もハンドボール部だったんですけど、そっちは一応3年間やりました。

M:ハンドボール自体は好きだったんですね。
本田:それも微妙なところですね(笑)。やっぱり基本的にインドアなんで運動自体はあまり好きではなくて。一応、高校には漫画研会とかあったんですけど、女子ばっかり集まって漫画を描いていたので、ここには入れねえなあ…って。

M:高校時代にオリジナルの漫画作品を描いた事は?
本田:全くないです。高校の頃は割とハンドボールをしっかりやってたんで、漫画を描くということはしなかったです。描きたいなとは思ってたんですけど。ただ描き始めたきっかけは受験勉強で、現実逃避のためにノートに描き始めたのが、なぜか勘違いして「やっぱり漫画家の道だな」って(笑)。

M:ちなみにそのときの作品の内容はどんな感じのものでしたか?
本田:そのときも全然作品って感じじゃなくて、適当に人間が殴ってるポーズだけとか(笑)。で、高校を卒業して一応自宅浪人をしていたんですけど、全く勉強する気も起きず机にも座らないんで絵も描かず(笑)。ほんとただ寝てるだけっていう糞みたいなニートでしたよ(笑)。
そのとき親に「働けや!!」って叱られて、バイトしながら半年くらい過ごしてたんですが、ふと「俺、漫画の描き方わかんねぇーな」って思って漫画の専門学校に入ったんです。そこで学校の関係者に紹介してもらってプロの漫画家のアシスタントになって…5.6年はそこでやっていたかな。

M:同じ先生のところで5年も勤められていたんですね。
本田:そうですね、でもちゃんと週4とか週5で入ってたのは最初の2年弱で、そっから4年くらいは週一にしてもらったんですよ、自分の漫画を描くために。で、週一にしてもらったらまた描かないで(笑)。糞みたいなニートに戻ってひたすらダラダラしてました。一日一コマとか描いて、あぁやったぁ‥頑張ったなぁ‥今日って(笑)。そんな感じで全然進まなくて、最初の持ち込みの漫画を描き上げるのに2年かかりました。

M:その持ち込み作品はどういう内容だったのですか?
本田:ハンドボール漫画でした。

M:なかなかニッチなジャンルですね(笑)。ハンドボール漫画といえばジャンプで連載していた「大好王(ダイスキング)」(道元宗紀)を思い出しました。
本田:もう一つジャンプで「H本田ND’S-ハンズ-」(板倉雄一)ってのがありましたけど(笑)。僕が描いたやつは我ながら酷い内容だったなあ(笑)。

M:それはチャンピオンの方に持ってかれたんですか?
本田:そうですね。一応月刊ジャンプと月刊少年チャンピオンへ持って行ったのですが、感触のよかった月刊チャンピオンでやることになって。

M:持ち込んだ時は編集者さんからどのようなリアクションでしたか?
本田:ジャンプの編集の方は表紙を見たときに「おお!きたっ!」って思ったらしいんですよ。ただ内容を見て秒数でこりゃダメだと(笑)。

M:では画力では認められていたんですね。
本田:そうですね。画力的には割と評価いただいて、今度から打ち合わせしてネームを二人で作っていきましょうみたいなことは言われたんですけど、なんかジャンプ特有の威圧感みたいなものを凄く感じてしまって(笑)。

M:月刊少年チャンピオンの方へシフトしていったと。
はい、チャンピオンはまず編集者さんのキャラにビックリしました。(秋田書店の)ロビーで待ってたんですが、向こうからひげ面でアロハシャツを着たピアスだらけの、まるでクローズのキャラみたいな人が近づいてきて(笑)。なんかこっちくるけど…まさか!?いや、こんな編集いないよね?来るな!来るな!って思ってたら、「どうも初めまして」って(笑)。でも見た目はそんなのだけど、割と腰の低い方で僕の作品も持ち上げてくれたんです。なので賞とか出してくれるのかな?って思ったら、「いいねー!でもこれは一旦置いといて」って言われて(笑)。次の描こうって。とにかく絵は褒められるんですけど、内容的に無理だなっていう感じでしたね。

M:そこから連載デビュー作の「卓球D本田sh!!」に繋がるのでしょうか?
本田:一応、その次はダーツの漫画を描いたんです。それが佳作を取ったので、その次に卓球の読み切りを描いたら50万円の賞を取って。これが月刊少年チャンピオンに掲載されました。その作品をベースとしたヤンキー卓球漫画が「卓球D本田sh!!」ですね。

「卓球Dash!!」1巻

「卓球Dash!!」1巻

=>断然筋肉だけのおっさんを描くほうが楽しい。

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