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「マンガ家は、雑誌は、どう生き残るのか」を考えさせられた。(右からIKKI編集長代理の湯浅さん、マンガ家の西島さん、デザイナーの柳谷さん)

「マンガ家は、雑誌は、どう生き残るのか」を考えさせられた。(右からIKKI編集長代理の湯浅さん、マンガ家の西島さん、デザイナーの柳谷さん)


日本のマンガ市場はこれまで、「雑誌での作品発表→単行本化」で作品が世に出回り、成立してきた。しかし近年、様々な規模のマンガ雑誌の休刊が相次いでいる。紙媒体での発表の場が減る中、マンガ家はどう生き残ることができるのか。

10月18日、下北沢の「本屋B&B」で開催されたトークイベント「IKKI休刊とこれから~コミック雑誌の未来、漫画家の未来〜」で示された、雑誌「IKKI」休刊後の「マンガ家西島大介」の新たな挑戦からは、そんな生き残るための方向が垣間見えた。

当日会場では、雑誌「IKKI」のほか、西島さんの既刊単行本や限定部数のZINE「なんでもありZINE全集」を販売した

当日会場では、雑誌「IKKI」のほか、西島さんの既刊単行本や限定部数のZINE「なんでもありZINE全集」を販売した


登壇したのは、「IKKI」編集長代理の湯浅生史さん、マンガ家の西島大介さん、デザイナーの柳谷志有さんの3人だ。西島さんはIKKIコミックスから『ディエンビエンフー』の単行本を発売しており、湯浅さんが編集を担当している。柳谷さんは『ディエンビエンフー』の装丁のほか、「IKKI」本誌の表紙デザインも手がけていた。

なんと当日の音楽は、デザイナーの柳谷志有さんが「DJ柳谷さん」として担当。ダブなどが流れゆったりしたムードに

なんと当日の音楽は、デザイナーの柳谷志有さんが「DJ柳谷さん」として担当。ダブなどが流れゆったりしたムードに


休刊後、イベント開催を活発化した編集部

第1部のお題はずばり「IKKI休刊」。

写真3)
普通は雑誌の休刊が決まると、編集部の動きは縮小するもの。しかし「IKKI」の場合、休刊が決まった後に全国のミュージアムで大原画展を開くなど、むしろ最後の大花火をいくつも打ち上げたようなイメージがあった。

――西島大介さん(以下西島) 休刊になるのに、いろいろ元気にイベントやっていますよね。こういうのってあんまりないんじゃないですか。
――湯浅生史さん(以下湯浅) マンガ家の方に休刊の連絡をしたあと「おとなしく終わりたくないよね」という話になり、大原画展やIKKI-FESにつながりました。

2006年、西島さんがIKKIに参加

西島さんと「IKKI」に縁ができたのは2006年。角川版『ディエンビエンフー』を当初連載していた雑誌「COMIC新現実」が休刊となり、縁があって「IKKI」に移った。何度か担当編集者が変わり、湯浅さんは3代目だという。

連載がスタートしたときの「IKKI」本誌の表紙

連載がスタートしたときの「IKKI」本誌の表紙


「IKKI」連載第1回では見開きカラーページも。水彩で着色したフルカラー原画だったが、現在単行本に収録されているのは白黒印刷にふさわしいように一色で描き直したもの 

「IKKI」連載第1回では見開きカラーページも。水彩で着色したフルカラー原画だったが、現在単行本に収録されているのは白黒印刷にふさわしいように一色で描き直したもの 


――西島 月刊誌の連載ということで「やったるぞー」という気概が伝わってきます。
――湯浅 当時の「IKKI」は『ぼくらの』『フリージア』が軸を作っていて、ちょうど黒字だったんです。オノ・ナツメさんの『さらい屋五葉』や五十嵐大介さんの『海獣の子供』もやった頃で、06~07年の2年間は黒字だったんですよね。よく見ると、松本大洋さんはいない。松本大洋さんを柱に始まった「IKKI」だけれども、松本大洋さんが描いていない時期なのに黒字だったんですね!

『ディエンビエンフー』連載開始のときのラインアップ。『ぼくらの』などが掲載されていた

『ディエンビエンフー』連載開始のときのラインアップ。『ぼくらの』などが掲載されていた


――西島 幸せな時期にデビューさせてもらったと思いますよ。月刊誌に載せてもらえるのが自分としては珍しくて、そのワクワクがありましたね。このときは「IKKI」が終わるなんて思っていなかったです。

2010年、『ディエンビエンフー』は「IKKI」誌上での連載を終了。これ以降は「単行本描き下ろし」という作品発表スタイルに切り替わったが、予定通りには進まず大幅に遅延した。

2010年9月号に掲載された連載終了のお知らせはファンを驚かせた

2010年9月号に掲載された連載終了のお知らせはファンを驚かせた


――湯浅 なぜか連載が終わることになりまして。
――西島 単行本8巻が出たころですね。当時の担当編集と江上編集長から「西島さん、連載が終わるってどうですかね」と終了の打診がありました。その理由は、「原油危機で紙が高くなっていて、雑誌を薄くしないといけないから」とのことでした。
――湯浅 それもよく打診しましたね(笑)
――西島 本当ですよね。休刊のお知らせよりかマシだけど。でも、雑誌の売り上げを引っ張るほどの力はないけれど、雑誌がなくても自立できる作品が『ディエンビエンフー』という作品だと編集部が判断したのかなと考えました。あと、僕がスタートした時のように、雑誌上で発表することが大切な作家さんもいっぱいいるだろう。第二部からは部隊が解放戦線側だし、ベトコンのゲリラ兵士がトンネルに隠れて戦うように連載から消えるのも作品のテーマ的に正しいかもしれない、と思ったんです。
――湯浅 雑誌は32ページ分をひとまとまりと考え、32ページをいくつか束ねて雑誌にします。17束だったのが、当時13束まで、つまり128ページ分減らさなければいけなかった。編集長は雑誌のコストも懸命に考えていて、あれこれやってなんとか採算が取れるラインに近づけようとしたのだと思う。06~07年に黒字を達成したあと、だんだん(売り上げが)下がってきて、もう17束は支えきれなくなったから、シュリンクさせて小さな所帯にしなきゃいけなくなった。
――西島 リストラされたっていうことですかね(笑)。まあ在宅勤務に近い感じになって、僕もいいじゃないかと思ったんですよね。ただ、“毎月”がなくなると、(締め切りに)間に合わなくなりました。描き下ろしの体制に移行して、雑誌の大切さがわかりました。

その後、『ディエンビエンフー』は、2010~14年の間に3冊単行本が発売された。東日本大震災が起こったことを考えると「悪くないペースだった」(湯浅さん)とのことだ。

――西島 震災があった後、多くのマンガ家さんが「このままマンガを描いていていいのか」と悩んで、それぞれの方法で乗り越えたりしてたんだと思うのですが、僕は休載して描き下ろしに移行していたからそこに悩むことはなかったですね。連載もない状態だったので、むしろ今描きたいものを素直に描いてみようと、『ディエンビエンフー』はほったらかして『すべてがちょっとずつ優しい世界』(講談社)や『Young,Alive,in Love』(集英社)など震災をテーマにした作品を連載し始めました。

西島さんが雑誌での連載をやめてから4年後、「IKKI」は休刊となった。このことに西島さんは「純粋にびっくりした」という。

=>デザイナー、柳谷さんが見せる『ディエンビエンフー』の世界

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