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11月3日から9日迄、東京都吉祥寺「GALLERY KAI」にて開催される「手塚治虫の美女画展」。“手塚治虫作品のエロス”について焦点を当てたこの展示会ではこれまであまり展示される機会の少なかった女性キャラクターたちの裸婦イラスト、原画・複製原画 17点を展示。初公開となる作品の展示も予定している。

そこでMangaStyle編集部は、今回の展示会主催者であり、手塚治虫の長女である手塚るみ子さんと手塚治虫作品を愛する漫画家達との特別対談を企画した。対談場所は東京都豊島区雑司が谷にある並木ハウス別館内の「キアズマ珈琲」。

 対談の第一回目としてお迎えしたのは2012年(平成24年)に「テルマエ・ロマエ」で手塚治虫文化賞短編賞を受賞した漫画家のヤマザキマリさん。イタリアのフィレンツェにあるアカデミア美術学院で油絵と美術史を学び、1984年以来現在も日本とイタリアを往復しながら創作活動を続けているヤマザキさんと、手塚るみ子さんとの初対談。「手塚治虫の美女画展」に先駆けて9月に刊行された「ロマネスク―手塚治虫美女画集[増補新装版]」(復刊ドットコム:増補新装版)に収められている美麗な美女画の頁を繰りながら、自然と二人の会話が始まった。

「キアズマ珈琲」外観。「並木ハウス」は、かつて手塚治虫がトキワ荘の後に仕事場として使っていた伝説のアパートであり、「並木ハウス別館」ははす向かいに位置する建物。近年、昔の面影を残したまま改装された。

「キアズマ珈琲」外観。かつて手塚治虫がトキワ荘の後に仕事場として使っていた伝説のアパート「並木ハウス」のはす向かいに位置する「並木ハウス別館」内にある。

対談のテーマは「手塚治虫作品のエロスについて」-

手塚治虫の多面性

ヤマザキ)子供の頃、児童漫画を読む視線で手塚作品を読んでいて、そこで出会う大人の女性の描写にはドキドキしました。手塚先生の世界感のふり幅の広さっていうのはやはり凄いですね。一般の人が手塚作品の登場人物としてイメージする純粋で健全な少女もあれば、エキセントリックで毒もあるような女性もあり。様々な女性像の描き分け操作をするのって、大変なことじゃないかと思うんです。

手塚       そうですね。この読者に対してこれを描いていいものか考えて描かないといけないから。

ヤマザキ) 混ざってしまったりはしないのですよね。

手塚      アトムには毒は出ませんしね。

ヤマザキ) 手塚先生の描く大人女性の世界感への導入口はブラック・ジャックではないかという気がしています。ブラック・ジャックの人間ドラマを通じて、大人の女性の複雑さやエロティシズムの片鱗を知るのではないかと。

手塚      足の悪い少女に羽をつけて飛べるようにするって言う話があって、最後はその少女を鳥にしてしまうっていうめちゃくちゃな話なんですが。その鳥になっていく過程がそそられるっていう人もいるそうですよ。

ヤマザキ) あれは面白いエピソードでしたね。動物愛っていうか、手塚先生は人間というものを他の動物と同じ様に、生き物として捉えて観察しているところがある様に感じます。鳥になってしまったり、植物になってしまうものもありますね。

手塚      そうですね、奇病にして、最終的に鳥にしてしまうとか。

ヤマザキ) 医学に独特の狂気が絡んでいるというか。ヨーロッパみたいな、キリスト教的倫理観が根付いている人ではありえない発想ですよね。むしろギリシャ、ローマの荒唐無稽な神話のような性質を感じさせられます。宗教的な倫理観に拘束されていない人々に可能な想像力。

手塚      キリスト教の方はこんなの見れないですよね。

ヤマザキ) ありえない。

一生懸命参練習していた”女性の線

ヤマザキ)手塚先生は女体を描かれるのが元々そんなに得意ではない、と何かに書いてあるのを読んだ記憶がありますが、実際そうだったのでしょうか?

手塚      絵をデッサンから学んでるわけではないので、たぶん子供の頃からなんとなく模写することで覚えたんじゃないかと。だからあんまり女体を描くのに慣れてないんですね。

ヤマザキ) 私は逆に若い頃にデッサンばっかりやってきた人間なので、アカデミックな構図とかに捕われ過ぎて、未だに特徴をデフォルメさせて描けないんですよ。男性やお婆さんならいくらでも描きたくなるのですが、とにかく若い女性を描くの苦手で、ほとんど自分の漫画には出てこないんです。ピアノでもクラシックしか弾けなくて、ジャズのインプロビゼーションとかが出来ないのと同じです。そう考えると手塚先生は、おっぱいは大きくて、腰はくびれていて、足は小さくて…みたいに女性を美しくデフォルメして描けていらっしゃるから、素晴らしいなと思います。

手塚      だから女性の絵は安定しないんですよね。まさにアドリブですよね。

ヤマザキ) そのアドリブ感がとてもゾクゾクするというか。

手塚      でも本人は絵がうまく描けないのが、コンプレックスだったみたいで。このあいだラクガキがいっぱいでてきたときも、その中に他の先生方のちょっとエロい絵の切り抜きも出てきたんですよ。参考にして、一生懸命に練習してた様子が伺えるんです。あとエッチな雑誌の切り抜きとかもあった。その切抜きを原稿に貼ってなぞっているんですよ。顔だけ自分のキャラクターで、身体はそのグラビアで。そんな風に練習しているのを見てしまうと、あらためてすごいなと思いました。手塚治虫なのに練習するんだって。

ヤマザキ) なにか胸にぐっと来るものがありますね。

手塚      実際の女性の身体の線を学ぼうとしているんでしょうね。若い頃に描いていた漫画にはなかった要素だから。

ヤマザキ) 手塚先生っておそらく基本は理系脳の方ですよね。だから分析して描いちゃったり…そういう方は例えば機械の構造とか想像したり描いたりするのが得意なのでしょうけど、アナログな表現となると別なのかもしれないですね。

手塚      得意としてなかったでしょうね。だからそんな風に健気に練習してて、ちょっと可笑しかった。そうまでして描きたいんだって思いが見えてしまって。でも、笑えるんだけど、すっごい努力していたってこと感じられて。

ヤマザキ) 一連の作品を読んでいると、手塚先生は基本的に色気のある女性より、少年っぽい女性が好きなのかなという気がします。ジェンダーの無い感じの女の人が好き。ブラック・ジャックの如月先生とか。如月先生は象徴的なものに感じます。サファイアもそうですけど、ジェンダーのない女性が魅力的。

手塚      ジェンダーの無い女性を描くのはやはり宝塚歌劇の影響が大きいのではないかと。

ヤマザキ) フランスでの女性のほめ言葉に「あなたは少年のようだね」っていう例えがあります。それはヨーロッパ的な表現ではあるのだろうけれど、女性らしさというものだけが賞賛されるわけではなく、邪念の無い、古代の神々から愛される少年のような美しさ、という捉え方もあるのですね。それを踏まえて考えると手塚先生の描く、ジェンダーのない女性論というのは、究極の女性というイメージがありますね。実際私は子ども心に如月先生に憧れ、如月先生のようになりたいと思っていた事があります。まぁ、ブラック・ジャックが好きだから、彼の嗜好に叶うような女性になりたいということもあるのですが。

手塚      如月先生やサファイアのようなジェンダーを超えた女性から、奇子のようなすごいエロティズムをもった女性まで描いてみたいという気持ちになったんでしょうね。

ヤマザキ) 劇画だってここまでしないでしょう、と思うような、大胆な展開にされていることもありますよね 

手塚      それを今回の美女画展で知ってもらいたいのですよ。手塚治虫といえば、いまや教育的なポジションにおかれてしまっていて。だけど実はすっごいエロも描いているんですね。その部分に惹かれている人は沢山いるんですけど、それを目にする機会はどうしても少ない。だから今回あえてそれを狙ってやるんですよ。たとえ父兄に文句言われようとも。
『ブラック・ジャック』如月先生

『ブラック・ジャック』如月先生


カテゴリーのあいまいさ

ヤマザキ) そうやって既成概念を踏襲していかないと、周りが作りあげた作家像がそのまま固定化してしまったりしますからね。私もテルマエ・ロマエで名前が知れたせいで、その後の作品では「あれ?全然ギャグが無いけどどうして?」と言われまくりました。私は可笑しい話も作るけれど、ギャグ漫画家というカテゴリーに属している自覚はありませんでした。でも自然にそういうイメージが固定化してしまっていたようで、数年前には「ギャグ漫画家大喜利」にも参加したんですよ。私ってギャグ漫画家だったのか!みたいな(笑) もちろんそういう要素も重ねて持っていたいとは思ってますけどね。

手塚      だったらテルマエは(手塚賞ではなく)赤塚賞ってことになりますよね。

ヤマザキ) カテゴリーのあいまいさっていうか、どんな作家も意外と本人が思っているような読まれ方をしていないってことなんですよね。そういう意味では、手塚先生は健全な明るい未来を担う青少年の為の漫画家というイメージが強いから、数々の大人向けの作品も含めて多元的な作品を取り組まれていた事を思うと、その固定概念はかなりもったいないなあと思います。

手塚      手塚自身が一番そうやって限定されるのが嫌で、違う方向に違う方向にと天邪鬼に描いていたんです。でも今は本人がいないからそれができないじゃないですか。だったら自分がやっぱりやっていかなきゃ、父が可愛そうだなと思って。最近なんて、手塚治虫をちょっとでもいやらしくすると、それこそ田中圭一だとか言われて。そうじゃないでしょって。元祖もエロ描いてますよって。

ヤマザキ) そうですね。まるで田中圭一さんがその先駆者のように思われてしまっている傾向はありますが、実はご自身も結構辛辣なジョークものも描いていらっしゃいる。先頭にブラック・ジャック、火の鳥、アトム、ジャングル大帝があると、なかなか正統派のイメージ以上のものを想像してもらうのが厳しいですよね。意外性を知ってもらうために、せめて「奇子」だけでも読んでもらえればいいのだけど。

手塚      ブラック・ジャック、火の鳥などが人気があるなか、唯一、奇子が売上げの上位に食い込むんですけど。その奇抜性がいいのか。芸能界と同じですよね。事務所がタレントをこういう風に売り出そうと決めてしまう。大衆ウケのいいように。漫画もそうなりますよね。出版社やプロダクションに決められていく。
ヤマザキ) 商品として成立する、ウケの良いキャラクターが作られていくんですよね。でも意外性はやっぱり必要だという気もします。既成概念から外れたものが多ければ多いほど、信じていたとおりにならないものを認めなければならない機会が増えるほど、感性は熟成されていくものなので、そういう意味では日本って規制だらけで残念だな、と思うことが頻繁にあります。戦後、アメリカの影響で妙なピューリタニズムが入ってしまって、江戸時代までは楽しめた筈の自由な感性もいろいろとダメになってしまっているから、もったいない。

手塚      そうですね。昔は自由に描いていたものが、規制によって描けなくなるとか、映画だと上映できなくなるとか、なにか変ですよね。

ヤマザキ) それこそ浮世絵の世界だって、春画とかモザイクを付けられたりしているけど、あれはもともとそんなモラルの規制が施されているものではなかった。

手塚      テルマエ・ロマエの表紙の裸体は大丈夫だったんですから。

ヤマザキ) あれはコミックビームの編集長から「風呂に入るのに桶でいちいち隠す奴がどこにいる」って言われて。裸像を描くならもろ出しでいけと(笑)。でもやっぱり編集会議で上の人からは「素っ裸で丸見えはまずいだろ」と言われたそうなのですが、結局編集長はこれじゃない出さないと意地を貫き、それであの表紙が叶ったのです。ところが本には帯がついていて、テレビで紹介されるときは必ず腰の位置まで帯が上げられてしまう。規制が厳しいアメリカでの翻訳が出版される時は、本に透明なカバーがかかっていて、ちょうど腰のあたりにテルマエ・ロマエと書かれているんです。買った人だけがめくれますよ、みたいな。逆にそれがいやらしい感じでしたけどね。

手塚      そうなんですね。ヨーロッパとかは?

ヤマザキ) ヨーロッパは大丈夫でした。こういったものが普通に街中や美術館にはにおいてありますから。ギリシャ・ローマでは人間の裸体は美しいものと賞賛されてきたわけで、それを規制することがおかしい。女体だけでなく、男の人の裸にまでこんなにガミガミいわれるとは思っていなかったので驚きました。二巻の冒頭で男根信仰の漫画を描いたときも、読者からのバッシングがひどくて。「せっかく順調にきてたのになぜこんな読者を振り落とすような漫画描くの!」って言われて驚きました。日本だって道祖神信仰とかあるわけですから、全く変な事を描いているつもりはなかったのに、読者の抱くテルマエのイメージではなかったんでしょうね。確かに健全な手塚漫画ばかり読んで来た読者が、いきなり奇子やばるぼらを読めばショックかもしれません。でもそれが読者の方の想像力をよりいっそう高める大きなきっかけにもなると思うのです。もっともっと漫画世界を楽しんでもらうのに大事な事ではないかと。

手塚      脳にカッと穴があく瞬間ありますよね。

ヤマザキ) そういった作品をもっと手塚ファンの若い人達にも読んでもらえればって思いますよね。
基本は生き物として捉える

ヤマザキ) 手塚先生の描く動物ってかわいいじゃないですか。猫とか犬とかウサギとか、背中の曲線やおしりのあたりがしなっているところとか、エロティックで思わず見入ってしまいます。メス猫とかの表現もすごいですよね、色っぽくて。

手塚      あと、女の人が猫になっちゃうというシチュエーションとか。動物のメスをよく描きますよね。子供の頃に猫を飼っていたので、たぶん猫派じゃないかと。私が子どものころには死んじゃっていなかったんですけれども。『リボンの騎士』でヘケートが猫に変身するシーンとか、今見ても色っぽい。子供の頃にあれを見て、女の子は猫に変身するんだってイメージがインプットされました。けっこう多いんですよ、女の子が猫になるっていうシーン。

ヤマザキ) 確かに猫って身体の形や仕草に色気があるじゃないですか。

手塚    
 身近な動物だったから。やっぱり猫の身体のしなやかさって影響あるんですかね。

ヤマザキ) 生身の女性よりも、猫のような動物にエロティシズムというものを感じていらしたんじゃないかと思う事もあります。

手塚      女の兄妹がいたっていうのもあるかもしれませんね。すごく仲良かったみたいですし。女性キャラにはその影響はあるでしょうね。その後に宝塚があって。恋愛の経験は、母に聞くと、そんなになかったみたいです。自伝漫画の回想シーンとか見ても、そんなになさそうだし。

ヤマザキ) 実は私、子どもの頃は動物や虫の絵ばかり描いていたんですよ。特に虫が大好きで。手塚先生が感じていらした虫へのシンパシーは私にもありました。

手塚      虫も模写してるから、虫のぐにゃっとした曲線とかも女性の身体の描きかたにでているのかもしれないですね。基本は生き物なんですね。

ヤマザキ) ピノコとか虫っぽいかなって思いますね。かわいい虫。

手塚      I.Lで下半身が虫になっている女性と添い寝している絵があって、私は気持ち悪いと思ったんだけど、あれをみてエロいと感じる人もいるんですよね。たぶん本人が描きながら一番それを感じているんだろうけれど。

ヤマザキ) それが手塚先生のエクスタシーなんでしょうね。人間の女性の裸を見るよりも、虫を見ている方が実はゾクゾクしていらしたのでは…

手塚      昔、漫画家の先生たちと台湾にいったときに、他の皆さんはストリップを見に行こうとなったのに、うちの父だけは、動物と女の人がまぐわっているショーがあるらしいから、そっちを見に行こうと言ったらしいんですよ。()

ヤマザキ) エロ的なものでなく、動物と人間が一緒になるっていうことに興味がおありだったんじゃないですか。()

手塚      大きくいえば、変態ってことなんですけれど。性欲より好奇心のほうが勝るんでしょうね。女の人の裸を見てむずむずしたいって欲求なら、みんなストリップ行くじゃないですか。動物と人間がまぐわっているのはどういうものなのかという好奇心と、人間からは得られないエロティズムをそこで感じて楽しむことがしたいんでしょうね。

ヤマザキ) 性欲っていう単純な次元のものではなくて、エロティズムって複雑な精神性からきてるじゃないですか。ご本人の納得のいくエロティシズムを求めていると、そういうことになってしまうのかもしれませんね。


アマゾンの取材先で見た手塚治虫の足跡

ヤマザキ) 私、ジャングル大帝がすごく好きなんですけれども、さっきも言ったように手塚先生は人間すらも、地球上のひとつの生き物として客観的に見られていたんじゃないかと思っています。さっきの動物とのまぐわりに関しても、無いほうがおかしいんじゃないかっていうくらいの解釈をされていたのかも。北海道の熊牧場で熊を見た時、雄熊がでっかくてかっこよかったんですよ。こんな男らしい熊に抱かれて安心して眠りたいな、と思ってしまった(笑)

手塚      その境界を越える瞬間ってわかります。私も大好きなドラマーがいるんですけれど、もし生まれ変わるならあの人に叩かれるドラムになりたいって思いますもん。あんなに愛されて響かせてもらえるなら、あのドラムになりたいって。()

ヤマザキ) わかります。別に愛情の対象って人間でなければならない理由はないですからね。

手塚      そういえば熊牧場、子どもの頃に行きましたよ。

ヤマザキ) 熊をあんなに身近に見られる場所はありませんからね。アイヌの人達の間ではキムンカムイ「山の神」っていう名前がついているくらい迫力があるし、あの動物と山の中であったら、絶対不可抗力じゃないですか。人間の無力さが露わになる。私は動物の視点で世界が展開されるジャングル大帝が大好きなのですが、子供の頃はアニメのオープニングでサバンナを駆ける動物達に、自分も混ぜて人間代表で走りたい!って思っていました。

手塚      ジャングル大帝はレオが自分たちの新居として家(城)を建てたり、肉食動物と草食動物のためにレストランをつくったり、普通の動物好きでは考えつかないような、動物界を描いている。ライオンキングとかには無かったですからね。

ヤマザキ) 欧州の人間には、そういう発想はできない。ライオンキングでは無理ですね。

手塚      平和の考え方が違うんでしょうね。肉食動物と草食動物がケンカしないために、レストランをつくるっていう発想がないですよね。

ヤマザキ) 西洋人にとっては、動物ってやはり人間より下等なんですよ。私がヨーロッパとかへ行って、カブトムシとか見つけてくると、「やめなさいゴキブリさわるのは!」って言われました。ゴキブリとカブトの差異が解らない。そういえば、以前アマゾンに行った時、爬虫類博物館みたいな施設の人に「昔、ここに日本の漫画家さんが来たことがあるよ」と言われことがあります。「その人は時間があればどこでも漫画を描いていた」と言っていました。後にそれが手塚先生であったことを知ったのですが。

手塚      アマゾンへ取材って、何の漫画になったんだろう。

ヤマザキ) 興味がありますよね。締切が迫っている全然違う漫画を描いていらしたかもしれないのだけど。ちなみにわたしはその旅で、エレファスオオカブトっていう昆虫界最大のカブトがいるんですけれど、それを見つけて同じ宿舎に滞在している多国籍の人達に見せたら、「ぎゃー」って悲鳴を上げて散っていきました。あの時手塚先生がいらしたら、さぞかし興味を持って下さっただろうに…

手塚      あんなに身近にいるものなのに、嫌がるんですね。

ヤマザキ) 虫に対する拒絶反応は半端ないですね。私たちアジアの人間は虫一匹に対しても、リスペクトがありますよね。でも西洋の人で虫を愛でる人には、専門家でもない限り出会いませんね。アイヌのような自然崇拝の名残がどこかで感じられるわけでもないから、動物に対しても同じ。だから(ディズニーの)ライオンキングも違う捉え方をしてましたよね。

手塚      人間性だったり、価値観がそもそも違っているんでしょうね。うちの父も唯一蜘蛛が大嫌いで、蜘蛛がでたらぎゃーって逃げてましたね。玄関先に蜘蛛がよく巣を張るんですけれども、父はそれがイヤで、門柱のところに「蜘蛛の巣を払うための棒」が置いてありましたね。蜘蛛の巣が嫌いだったのかな。

ヤマザキ) 虫好きだったらたいてい蜘蛛も平気なはずですが。

手塚      蜘蛛は見ていて面白いですからね。

ヤマザキ) 虫好きの私はイタリアにいても奇人と思われ、日本にいても変な女と思われ、でも手塚先生の漫画があったからなんとかなっていたのかもしれません。多くの人にとっては手塚先生といったらSFのような世界観で影響を受けたと思いますが、私にとっては動物観だと思うんですよ。だから、エロティズムすらも、手塚先生の描く動物にも感じてしまうのでしょうね。

手塚      手塚治虫はヤマザキマリという作家にすごい興味をもつと思いますね。生きてたら、とり・みきさん以上に一緒に仕事をしたがったんじゃないですか。
『ジャングル大帝』

『ジャングル大帝』


変人好きのルーツ

ヤマザキ) 手塚先生はわりと古典だったり古代の物語を漫画にしてるじゃないですか、火の鳥だったり。私はそれを読んだことで、古典を自由に漫画として描いてもいいんだと思ったんです。火の鳥は私の子供のバイブルでもあるのだけど、新しい読者も絶えないですよね。

手塚      亡くなって25年もたって、売れているのはありがたいことなんですけれど。700タイトルもの作品を描いているのに、5つ6つのものしか知られていなくて、本当にもったいないと思います。

ヤマザキ) たとえばメジャーなブラック・ジャックとかでも、短編の中に詰め込めるだけの思想が全部入っているじゃないですか。本当は分散して描きたいコンテンツを、全て集約させてしまっているんじゃないかと思わせる、そのテクニックが凄い。ブラック・ジャックは社会に対する歪曲した見方や思想が発芽するきかっけを与えてくれる漫画でした。あのような短編の軸から、手塚漫画の世界は何通りにも分散化し、発達しているのではないかと思わせられますね。

手塚      いま多くの読者は手塚漫画の入り口がブラック・ジャックなんですけれど、あの漫画からこうもいけるし、ああもいける。すごくいろんな方向性があるんです。医療漫画って大概は舞台が病院じゃないですか。でも、ブラック・ジャックはお医者さんの漫画なのに病院がほとんど出てこない。もとより無免許ですしね。

ヤマザキ) とり・みき先生も今やっている合作漫画プリニウスでいろんな面白いものを描いて下さっていて、例えば私がリクエストした腐乱死体も、もの凄い描写力で表現して下さる。プリニウス自体は動きのある漫画ではないのだけれど、ブラック・ジャックで学んだあの手術現場や内臓の構造が惹き付ける興味深さを、プリニウスでも展開できたらいいなと思っています。思い掛けない描写を経由して、一見つまらなさそうな漫画に読者を引込める事がありますからね。テルマエ・ロマエも、敷居が高いものだと思われていた古代ローマ世界を、お風呂っていう分かりやすいものに敷居を下げただけで沢山の方に読んでもらえる事になりましたから。手塚先生に読んでもらいたかったです。

手塚      そんなテルマエが手塚の名前の賞をとっていただけてほんとによかったと思います。

ヤマザキ) ありがとうございます。当時リスボンに住んでいたのですが、急に編集長から電話がきて、「おい、大変なことになったぞ!なんかお前、手塚さんの賞を獲ったぞ!」って言われてびっくりしました。一巻しか出て無いし、おまけにノミネートすらされていなかった。賞とか漫画を描く時はあまり意識してませんが、手塚治虫文化賞については大尊敬する作家の名前のついた賞ですから率直にうれしかったです。

手塚      手塚文化賞はいろいろな先生方が受賞されていて、それぞれすばらしい作品なんですけれども、審査員が選ぶのであって手塚本人が選ぶわけじゃない。でもテルマエは手塚が絶対に選ぶだろうなって思います。

ヤマザキ) そう言っていただけて、たまらなく嬉しいです。

手塚      手塚はもう亡くなってますけど、私は別の次元に生きているって思ってるんですよ。5次元とか6次元に存在してて、同時に時間は進んでいるので、たぶんヤマザキさんと私の会話も、ここで聞いていると思うんです。

ヤマザキ) 人との繋がりを横軸で括るのではなく、縦軸方向で考えるという事ですね。確かに私が影響を受けたり好きになるのは過去の人ばかりです。全員故人。だから直接意見交換したり、感想を伝えることはできていないけれども、頭の中では、例えば手塚先生だったらこの作品を何と思われるだろう、とか、こういう事おっしゃるんだろうなと想像をしてしまう。私はいまジョブズの漫画を描いますけど、描きながら、あの人は気難しいからこうしたほうがいいかな、なんて緊張しながら描くわけですよ。見えない人の反応を想像しながら漫画を描くのが好きなのかもしれません。

手塚      ヤマザキさん、変人を描くのが好き。

ヤマザキ) 昔から変人は好きなんですよ。子供のころから人間と付き合うより虫や動物と接していた方が好きだったわけですから。人間に惚れろっていわれたら、何となくマイノリティの強烈な特徴のある変人を好きになってしまう。偏屈で帰属を拒絶する人が好き。それが培われた要素のひとつに手塚漫画があったのは明らかですよ。ブラック・ジャックが理想の男性になってしまった人は、私だけではないでしょう。

手塚      多いですね。あんな顔に傷がある人のどこが魅力なんだろう。

ヤマザキ) あの人の妻になるのは大変でしょうね。ほっとかれて、気難しくて。どちらかと言うと王子様ではなく歪んだ悪者の要素が強い。でもどんな男性よりも魅力的。

手塚      もともとあの作品はサスペンスものとして、ブラック・ジャックも悪者として描こうとしていたんですけど、それがいつのまにかヒーローっぽくなっていて。しかも如月先生と恋愛もしているし。ピノコも畸形嚢腫だったのにその後は可愛らしい存在に描かれている。それで女性ファンがわぁって盛り上がっちゃって。

ヤマザキ) ブラック・ジャックのエピソードで、売れっ子のホステスをしている女の人と出会ったブラック・ジャックが三白眼で「おまえさんはきれいだからね」って言うところがあるのですが、子供心ながらに、ブラック・ジャックの男臭さがちょっと衝撃でした。「この人も普通に綺麗な女が好きなんだやっぱり」って(笑)

手塚      「おまえさん」って呼ぶところがまたいいんですよね。シンパシーがある。宝塚の女優さんたちも、ブラック・ジャックが好きっていうんですよ。

ヤマザキ) 手塚先生も意外に思われていらっしゃるのでは。

手塚      たぶん連載していた頃はそんなに女性ファンは表面化してなかったんじゃないかと。手塚が亡くなった後、女性に人気の作品になったような気がします。

ヤマザキ) 私も読んでたのは70年代。チャンピオンの連載当時でした。あの頃は女性ファンが付き添うな雰囲気には確かに見えなかった。でも、このところブラック・ジャックがBLの分野でも展開されているようで、凄いなあと思いました。ブラック・ジャックはいかなる方向にも読み進めていける漫画のフォーマットとも言えますから、そういう成り行きも大いにありなんでしょうけれど…凄いなあって。
手塚治虫作品のこれから

ヤマザキ) 「これが手塚作品なんですか!?」というようなものを映像化したらおもしろいかなあと思います。奇子はフランス人の監督や俳優で映画にしてもいいのかもしれない。手塚式のアンモラルな要素を、海外の監督が撮ったら面白いのかもしれないですね。

手塚      手塚作品は設定が事細かく描かれているから、それを監督される方は実写化するのは凄く難しいといつもおっしゃるんですけど。

ヤマザキ) でも、手塚作品の中でもなまなましい人間性を持つものは実写で見てみたい思いはあります。

『奇子』

『奇子』

手塚      海外の監督が読んで、どういう解釈で映画化するかというのは見てみたいですね。

ヤマザキ) 手塚治虫の「健全な少年漫画家」というイメージは海外でもやはり固定化しています。でも、大分前に(イタリア人の)旦那が机の上においてあった奇子をちらりとめくって、ええっ、これが手塚!?と驚いていたことがありました。手塚先生の意外性は日本だけでなく、世界においても、もっともっと露顕して欲しいなと思います。それが、ニッポンの漫画という世界の広さと奥深さや多面性を伝える為の、一番解り易くて早い方法でもあるような気がしますからね。

手塚      そういうものがこれからどんどん出ていって欲しいですね。
手塚作品を話題の中心とした二人の会話は尽きることなく、瞬く間に対談の時間は経過していきました。

現在、漫画家とり・みきさんとの共著「プリニウス」(新潮社)を「新潮45}誌上にて連載するヤマザキさん。執筆の傍ら、とり・マリ(とり・みきさんとの音楽ユニット)でのLIVEやトークイベント等活動の場を広げている。奇人「プリニウス」を描いた漫画作品や漫画家の枠にとらわれないヤマザキさんの今後の活躍にも注目です。

次回の「手塚治虫の美女画展」×「MangaStyle」特別対談は手塚るみ子さんと漫画家、喜国雅彦さん&国樹由香さんをお迎えします。1027日公開予定、次回もお楽しみに。

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ヤマザキマリ(やまざき・まり)
漫画家

1967年生まれ、東京都出身。1981年、ヨーロッパの一人旅で知り合ったイタリア人の陶芸家に招聘され、1984年に単身でイタリアへ。フィレンツェの美術学校で油絵の勉強を始める。1997年、初めて描いた漫画で講談社の新人オーディションに受かり、以後漫画家として活動。比較文学を研究するイタリア人との結婚を機に、エジプト、シリア、ポルトガルを経て現在は夫の勤務する大学の所在地シカゴに在住。2010年、古代ローマ人浴場技術者が主人公の『テルマエ・ロマエ』で2010年度漫画大賞、手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

◇主な著書

『テルマエ・ロマエ』(BEAM COMIX 2009




手塚るみ子(てづか るみこ)
プランニングプロデューサー。

東京都出身。広告代理店を経て、手塚作品をもとに独自の企画を創作するプランナーとして活動。音楽レーベルMusicRobita主宰。手塚プロダクション取締役。父は漫画家の手塚治虫。著作に「オサムシに伝えて」、「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」等。2014年11月3日から9日迄開催される「手塚治虫の美女画展」をプロデュースしている。

「手塚治虫の美女画展」 https://www.facebook.com/tezukabijoga

対談場所:「キアズマ珈琲」
住所:東京都 豊島区雑司が谷3-19-5
電話番号:03-3984-2045

「キアズマ珈琲」公式Facebookページ
https://www.facebook.com/kiazuma

(執筆/MangaStyle 木瀬谷カチエ 撮影/小林 裕和)


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