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伝説の雑誌「コミックボンボン」を支えた2人の漫画家が今、語る!

toda_imaki

コミックボンボン―、80,90年代に少年時代を過ごした者なら、一度はこの名前を耳にしたことがあるはず。そんなおっさんどもを一瞬でノスタルジーに叩き落とすコミックボンボンの黄金時代を支えた2人の作家・とだ勝之先生と今木商事先生に、今回はボンボンで連載を開始した頃から休刊に至るまでのお話をお聞きしました。また、お2人は「クラウドファンディングでマンガを描く」という共通項もあり、今木商事先生はFUNDIYにて「ブッダくん ギャグ精舎」というプロジェクトを進行中。(※2015年7月31日編集部追記:現在今木商事先生は、FUNDIYにて「帰ってきた!『ブッダくんギャグ精舎』」というプロジェクトを進行中です。)インタビュー後半ではクラウドファンディングでマンガを製作する体験についても語っていただけました。


全然悩まない主人公が描きたい!

まんがStyle編集部(以下M):とだ先生は月刊マガジンで「あきら翔ぶ!!」を連載中の1993年コミックボンボンで「DANDANだんく!」の連載を始められました。この同時連載に至ったきっかけを教えて下さい。(※訂正:初出時、連載開始が1989年とありましたが正しくは1993年となります。謹んでお詫び申し上げます。)

とだ勝之先生(以下とだ):「あきら翔ぶ!!」の中で主人公のあきらが壁にぶち当たって悩む場面があるんですが、自分があまり悩まない性格だったので、うまいこと悩ませられなかったんです。

M:困難な局面で壁を乗り越えるという、いわゆる少年マンガのセオリ―ですね。

とだ:そうです。あきらはそれまでスーパープレイばかりやっていたので、ケガをして今までのプレイができなくなる、みたいな苦悩しか描けなくて。ちょっとウジウジ悩ませて、皆に迷惑かけてゴメン…みたい風に描いてみたものの、どうも自分で気に入らない。だったらもう、全然悩まない主人公が描きたい!と思ったのが1つ目の理由で。

あきら翔ぶ!!

あきら翔ぶ!!

M:なるほど。

とだ:それともう1つは、「あきら翔ぶ!!」が月刊マガジンの人気アンケートでなかなか上位に入れなかったんです。ただ、担当さんに小学生の中では断トツ人気だと言われて。当時の月刊マガジンのメイン層は中学3年から高校生だったので小学生って割合的には少なかったのですが、その中での人気はトップだと。だったら年齢層の合った雑誌がいいんじゃないか?ということで、月刊マガジンの編集者にボンボンの編集者を紹介して頂いて、「スーパープレイをバンバンやる全く悩まない主人公のマンガを描かせてほしい!」という話を持っていったんです。ただ、いざ始まってみると、「とだくんのマンガは年齢層が高いね!」と言われて(笑)。 ボンボンの読者層は小学校五年生くらいが一番多かったんですけど。

M:あははは、月マガでは年齢層が低くてボンボンでは高い (笑)。

とだ:どっちやねん!どっちもダメかい!って(笑)。

M:(笑)では今木先生にお伺いします。もともと漫画アクションでデビューされたということですが、青年誌であるアクションから児童誌であるボンボンに移られた理由は?

今木商事先生(以下今木):もともとマンガアクションを選んだこと自体は深く考えていなくて、当時マンガアクションって女性作家さんがいたり、普通の青年誌とは少し変わった感じの雑誌だったので、そういうところが魅力で投稿しました。その後、アクションで連載されていた国友やすゆき先生のところでアシスタントをさせて頂いたんですが、連載終了後の打ち上げパーティの席で国友先生がボンボンの編集の方と知り合いになり、「ウチに児童誌向きのヤツがいるよ」と私を紹介して下さったんです。私自身、周りからも児童誌向きの絵柄だよねと言われていましたし、児童誌にはまったく抵抗はなかったのですぐにボンボンへ行きました。

M:なるほど。ちなみにアクションに投稿されたマンガはどんな内容だったのですか?

今木:それはですね、アーノルドシュワルツネッガ―みたいな幼稚園の先生が活躍する話です。

とだ:すっげえ読みたい(笑)。

M:シュワちゃん主演でまったく同じ設定の映画がありますが(※「キンダガ―トンコップ」1991年公開)、それ以前に描かれていたんですね!

今木:コマンド―(※1985年公開)を観てこれはすごい!と思って描いたんですよ (笑)。

とだ:映画会社にパクられたんじゃないの(笑)?

今木:(笑)。でも今思うとやっぱり子供向けな内容のマンガだった気もしますね。アシスタント時代も落書きなんかを見られたらよく子供っぽい絵だねって言われてました。別に自分では意識してなかったんですが。

見事に女の子を描き上げていく今木先生(右)と驚きを隠せないとだ先生(左)

素早く女の子を描き上げていく今木先生(右)と驚きを隠せないとだ先生(左)

コミカライズは素材を与えられて自分流に料理する

M:ではボンボン連載中のお話をお伺いしたいのですが、とだ先生は先ほど「だんく!」のファン年齢層が高かったと仰られていました。後に長期連載されたことを考えるとアンケート結果は良かったのではないですか?

とだ:うーん、ボンボンでは人気アンケートを一度も気にしなかったというか、意識しないようにしてましたね。最初に年齢層が高いと言われた時点でトップクラスではないんだろうなと思って聞かないようにしていました。

今木:私もあまり編集さんから(アンケート結果を)聞いたことはなかったですね。

とだ:やっぱり雑誌の特性上、スポンサーがつく作品があるので必ずしも人気が反映されるわけではなくて。マンガは絶賛人気連載中でも元のオモチャが売れなかったら連載が終わっちゃうこともあるんで。

M:その辺りの評価軸は通常のマンガ誌とは異なりますね。

今木:でも「だんく!」のすごいところは完全オリジナルでスポンサーもいなくて、あれだけ連載が続いたということじゃないですかね。

とだ:うーん、当時はそんなことは全く意識してなくて後々になって、あ、そうだったのかなという感じですけどね。

今木:当時のボンボンでオリジナルが通ったということ自体がすごいことだと思いますよ。

M:確かに当時のボンボンはタイアップ作品が多かったですものね。ちなみに今木先生は「プラモウォーズ」でガンプラとのタイアップ作品を描かれていらっしゃいますが、このタイアップは編集の方からのご提案ですか?

今木:まさにそうですね。担当さんを紹介していただいた時はちょうどボンボンが増刊号を出そうとしていた時期で、春、夏、冬休みの増刊号ごとに大量の新人が必要だったんですよ。看板作家を2人ぐらい入れて、後は新人でまとめるというやり方はジャンプなんかでもよくやってますけど。そこで3回ぐらい読み切りを書いたんですが、ちょうどその頃プラモマンガがなくなっていたので誰かに描かせてみようという企画が上がったらしく、当時の副編集長が私のマンガを見て気に入って下さり、声をかけていただいたんです。

プラモウォーズ

プラモウォーズ

M:なるほど。とだ先生はガンプラなどのタイアップ作品を提案されたことはありましたか?

とだ:ガンプラはなかったですね。ただ「だんく!」が終わったあと、別のタイアップ企画を受けたことは2回ほどありました。1回は自転車のオモチャのタイアップマンガだったんですけど、打ち合わせしてたら編集長が来て「このオモチャ売れるの?」って。それで結局なくなりました (笑)。

M:その一言で決まるんですね (笑) 。

とだ:あれは特殊な例だったかもしれない(笑)。

M:ちなみに当時のボンボンではロックマンやガンダム、ゴエモンなどのタイアップ作品がありましたが、これを手掛けてみたいという作品はありました?

今木:私は初連載だったのでそんな余裕なかったですけど…ロックマンは3つぐらい連載してましたね。ロックマン8、ロックマンX、ロックマン4コマとか。ロックマン多いなーとは思ってましたよ。

M:とだ先生は?

とだ:私はボンボンの他のマンガを読まないようにしてましたね。月刊マガジンだと自分のマンガのタイプと被るものがなかったので平気でしたが、「だんく!」はギャグもいっぱい入れてたので、(他のボンボン作品を)読むとやっぱり面白いんですよ。知らぬ間に影響を受けたり、例えば面白いギャグを思いついても、「あ!これあのマンガでやってた!」ってなると発想が委縮しちゃうのでなるべく読まないようにしていました。ただ「へろへろくん」(かみやたかひろ)とかは「あ、ここまでのギャグは書けない」と思ったので安心して読めました(笑)。

M:ボンボンのタイアップ作品といえばかなり強烈な作品が多かった印象ですが、オリジナルの改変というのはマンガ家の自由にできたのでしょうか?

今木:どのコンテンツかにもよりますが、全体的にボンボンはかなり自由にやってましたね。

M:案を出したらメーカーに確認取って…みたいなことは?

今木:無かったんじゃないですかね。かなりみんな好き勝手やってましたし(笑)。

とだ:全然違うやんっ!ていうのもありますしね(笑)。だからメーカーさんが寛容だったと思います。

今木:当時の担当もなんせコミカライズは変えて当然でしょ、という感じだったんで。

M:それを楽しむという。

今木:そうですね。だからコミカライズは素材を与えられて自分流に料理する、ということが魅力なんですよね。

=>ボンボン担当「Sさん」の思い出

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