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「ブラック・ジャック創作秘話」吉本浩二の源流をたどる

漫画家はその人のみで漫画家にあらず! 必ず影響を与えた「誰か」がいたり、「何か」があるもの。

「源流を探すマンガ旅」では、その漫画家が一体どんな「他の漫画家」に影響を受け、今生み出している作品にどう表現されているか、漫画家の “源流”を辿っていきます。

第2回目は、『ブラック・ジャック創作秘話 〜手塚治虫の仕事場から〜』(原作・宮崎克)で作画を担当している吉本浩二先生。個人的な知り合いということもあり、Rは吉本浩二という作家が形成されるまでの道のりを間近で見てきました。絵については、デビュー当時からすでに吉本節は存在していたように思います。

源流に何が存在していて吉本先生を作り出してきたのかをこのインタビューで探ります。

[構成・執筆=川俣綾加]

▼プロフィール

吉本浩二(公式twitter)
1973年生まれ、富山県出身。代表作に『昭和の中坊』シリーズのほか、『日本をゆっくり走ってみたよ〜あの娘のために日本一周〜』『さんてつ~日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道大震災の記録』など。「週刊少年チャンピオン」で不定期連載していた『ブラック・ジャック創作秘話 〜手塚治虫の仕事場から〜』は「このマンガがすごい!2012」オトコ編の1位に輝いた。現在、「月刊コミック@バンチ」にて『カツシン~さみしがりやの天才(スター)』連載中。

謎の漫画家・R
20年以上マンガを描いていて思うことは、終わらない旅は無いということ。30年、40年選手の先生方にお会いすると、その人間力に脱帽、そして欲望に驚愕とすること多々。

吉本先生の作業部屋。アシスタント用の机が6つと資料用の本棚がところ狭しと並べられている

吉本先生の作業部屋。アシスタント用の机が6つと資料用の本棚がところ狭しと並べられている

テレビ制作会社を辞めて、漫画家デビュー

—— 謎の漫画家・R(以下、R)
僕は吉本先生が漫画家デビューしてからずっと一緒にお酒を飲んだりしていますが、まずは連載を取るまでが大変でしたよね。

—— 吉本浩二先生(以下、吉本)
そうですね。大学を卒業して1年半くらいテレビ制作会社で働いていて、性格に合わずに辞めたんです。じゃあ何をしようかというと「マンガを描きたい」と思って。1年くらいで「小学館新人コミック大賞」で入選し、「週刊ヤングサンデー増刊」でデビューしたんですが、そこからが色々とありましたね。連載になりそうだったんですが立ち消えてしまったり、途中で何をどう描いていいのかわからなくなってしまった時もありました。

—— R
何を描いていいかわからない、というのはどんなことが発端で?

—— 吉本
比較的自由に作品を描いていたんですが、編集方針が変わりこれまでのネームを「全然違う!」と言われてしまったんですよ。これまで青年誌っぽくやっていたのを、もっと小年マンガっぽく、絵もキレイに、話もわかりやすくするように……。

—— R
「週刊少年サンデー」の兄弟誌みたいな雰囲気になっていきましたよね。当時は僕も「ヘタウマはNG」と言われました。

—— 吉本
そう、大きく変化しましたよね。ちょうどその頃、2週間に1度ロドリゲス先生のもとでアシスタントをしつつ、アルバイトをしていました。アシスタントでロドリゲス先生や他のアシスタントの子たちと、いい意味で大学のサークルのように弱音を吐けていたのはセラピーみたいで、すごく助けられました。

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作業は基本的にアナログで行われる。机の上には大量の消しカスも

作業は基本的にアナログで行われる。机の上には大量の消しカスも

バイトがツライのは、作業よりも……

—— R
アシスタントをしていてセラピーを受けているみたい、っていうのは面白いですね。良い意味での仲間意識だったということでしょうか。

—— 吉本
すごく弱気になって、一度就職情報誌をもっていったらしこたま怒られました。会社に行きながら「アックス」みたいな雑誌でマイペースに好きなマンガが描ければ……、なんて。今思えばすごく甘い考えですけどね。

—— R
どうやってその状況を打破しましたか?

—— 吉本
そうこうしているうちに、「週刊ヤングサンデー」から「ビッグコミックスペリオール」に移動になった編集者から「こういう企画があるんだけどどう?」と連絡があって、そこからスタートしたのが『こまねずみ常次朗』シリーズです。もうバイトもつらかったし、やっぱりマンガが描きたかったので藁にもすがる勢いでした。アシスタントは楽しかったのですが、バイトをしていると周囲はみんな大学生なんかで、僕は27歳くらいだったんですよ。会話なんかも合わなくてそれもつらくて……(笑)

『日掛け金融地獄伝 こまねずみ常次朗』(原作:秋月戸市 原案:青木雄二)

『日掛け金融地獄伝 こまねずみ常次朗』(原作:秋月戸市 原案:青木雄二)


『日掛け金融伝 こまねずみ出世道』(原作:秋月戸市 原案:青木雄二)

『日掛け金融伝 こまねずみ出世道』(原作:秋月戸市 原案:青木雄二)

—— R
吉本先生とはたった4歳違いなのに、僕はバブルの頃にデビューしてわりと苦労せずに連載までいって、吉本先生の世代はデビューしてもなかなか掲載されない。もしかしたら漫画家では連載にいたるまでの過程でとても苦労している世代ですよね。

—— 吉本
今の40歳前後の漫画家の方々ってハタチで連載をもっていた人は少ないんじゃないでしょうか。何年も苦労してやっと連載みたいな。僕より5歳くらい上の漫画家の先生方は20歳で連載、賞をとったらすぐ連載、というのも多かったように思います。高校生の頃そうした姿を見て「自分も!」と思ったらすごく大変だったです。

アシスタント用の机には使用するトーンの番号表や使いかけのトーンが

アシスタント用の机には使用するトーンの番号表や使いかけのトーンが

アシスタント時代に見た正反対の漫画家2人

—— R
確か吉本先生は山田芳裕先生(『大正野郎』『へうげもの』など)のアシスタントもしていましたよね。

—— 吉本
最初に山田先生、その後にロドリゲス先生のアシスタントをやりました。賞をとってからは、僕は絵が下手なのでどこかで修行しないといけないと思って。山田先生からは一連の作業工程や使う道具とか、漫画家として基礎的な部分をすごく学ぶことができました。最初のアシスタント先の影響って本当に色濃くて、山田先生は19歳で連載を始めているようにすごく実力がある人、天才肌の漫画家なので僕にはマネできないんです。でもこうして一番に覚えさせていただいて、後々も影響する。運命みたいなもとだと感じます。一方で、ロドリゲス先生は会社勤めの経験があるので、社会人としての基本的なことを教わったと思います。

—— R
社会人として、どんなところ?

—— 吉本
アシスタントへの接し方、編集者との付き合いかとかですね。アシスタントにも気を遣われる方で、きちっとしていました。本当に人付き合いって大切なんだなと実感します。

—— R
そうですよね。ずっと引きこもっていてもネタは生まれないし、外に出て誰かと会って話すだけでももしかしたらいいネタになるかもしれない、仕事につながるかもしれない。来週のネタにならずとも来年のマンガのネタにはなっているかもしれません。

—— 吉本
僕は人付き合いが苦手ですが、一度縁があった方とは末永く続くようには気をつけています。同世代の漫画家の集まりに顔を出すようにしたり。同業者の人と話したいって気持ちは強いです。

—— R
すごく穏やかで優しくて、人間力があるし、吉本先生と話すと心地いいって漫画家は必ずいると思いますよ。

【Rのふり返り】
作風としてはかなり初期の段階から「吉本浩二」というものが存在していた。山田芳裕先生のもとで作画作業のイロハを学び、ロドリゲス井之介先生のもとで作家としての社会性を学んだのではないだろうか。業界で生きる大切なエッセンスを手に入れている。
(後編に続く)

手塚治虫先生の晩年や最後のアシスタントが語る貴重なエピソードが描かれている『ブラック・ジャック創作秘話』最終5巻 発売中! 9月9日に、希代の俳優・勝新太郎を描いた『カツシン〜さみしがりやの天才(スター)』第1巻が発売。

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