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マンガ家と編集者、どちらがユニークか?

マンガ家と編集者、どちらがユニークか?

マンガ家と編集者、どちらがユニークか?

喜劇から悲劇、冒険物語と幅広く奥深いテーマを扱う日本のマンガコミックス。豊潤な市場をのぞき見るとき、見え隠れするのがコミック編集者という存在だ。いったいどんな人たちなのか――その姿を垣間見ることができるトークショー「コミック編集者なんかいらない!?」が6月5日、東京・新宿の「新宿ネイキッドロフト」で開催された。

元ヤングマガジン編集長の関純二さんが音頭をとり、『右向け左!』などを手がけたマンガ家のすぎむらしんいち先生、『サンクチュアリ』の原作を手がけた史村翔先生に加え、元アフタヌーン編集長や現役青年誌編集者が登壇。一般人の想像を超えた編集者像が披露された。1980年代から2000年代前半ごろのマンガ家やマンガ原作者と編集者の生々しい関係、「今後も編集者は必要なのか」など、話題は降りしきる雨のように止まらなかった。この内容を一部ご紹介したい。


トークショーは、関さんの小説『担当の夜』の発売を記念したもの。コミック編集者とマンガ家の熱くも厳しい関係が生々しく短編小説に仕立てあげられている。
この日はバケツをひっくり返したような大雨。「雨に乾杯!」(向かって右端から関さん、すぎむらさん、青年誌編集者の大島剛さん)

この日はバケツをひっくり返したような大雨。「雨に乾杯!」(向かって右端から関さん、すぎむらさん、青年誌編集者の大島剛さん)

どしゃぶりの雨にも負けず多くの人が集まった

どしゃぶりの雨にも負けず多くの人が集まった

冒頭、すぎむら先生が最近某編集部にネームを持ち込んだときのやりとりを披露してくれた。結局そのネームは「こういうのはいらない」と言われ、ボツになってしまった。「厳しい判断をする編集者像」に「うんうん」と一瞬納得した会場。だが、すぎむら先生から「歴代担当編集者列伝」を聞けば聞くほど、“編集者像”は見る見る間に崩れていった。
イラストで次々と紹介される、すぎむら先生の歴代担当編集者

イラストで次々と紹介される、すぎむら先生の歴代担当編集者

いろいろな意味で忘れられない編集者の説明にはついつい力が入る

いろいろな意味で忘れられない編集者の説明にはついつい力が入る

「一度話し合ってOKを出したネームなのに、編集長がダメといったら『ダメだよ』と裏切った編集者」「原稿を取りに来たとき土足で人の家に踏み込んだ編集者」「飲みに行くとすぐに裸になる編集者」など。土足ですぎむら先生の家に入り込んだという編集者については、関さんも「心理戦でも肉体戦でも無敵」とコメントしていた。

もちろんキワモノ編集者だけではない。強烈な個性を放ちながらもすぎむら先生が「この人と組みたい」と思った編集者もいる。オフの行動とオンの行動の評価がリンクしないのが編集者のようだ。


<絶対的存在、担当編集>
そもそもなんでこんな人たちが編集部に集まったのだろう――会場にいる誰もが抱えた疑問に答えてくれたのが、第2部から加わった元編集者の由利耕一さんと、史村先生だった。
業界のベテランから、本音過ぎるトークが飛び出した(向かって右端から関さん、由利さん、史村先生、すぎむら先生)

業界のベテランから、本音過ぎるトークが飛び出した(向かって右端から関さん、由利さん、史村先生、すぎむら先生)

由利さんは、手塚治虫先生や大友克洋先生らを担当し、月刊アフタヌーンの編集長までつとめたベテラン編集者。関さんも「この人は本当にすごい編集者」と感服する。

「発足当初は、ほとんどの人がマンガ嫌いだったんだよね」という意外なエピソードを語り始めた由利さん。しかしその後、大友克洋先生の『AKIRA』の連載でヤングマガジンの発行部数が下げ止まり、きうちかずひろ先生の『ビー・バップ・ハイスクール』が大ヒット。時代はバブル景気真っ只中。「作品がヒットすると使えるお金が増える」とわかった編集者が、ヒット作を作ろうと編集やマンガ家との付き合いに前のめりになっていったようだ。
史村先生と由利さん(右)。担当編集者とマンガ原作者として組んだ経験も

史村先生と由利さん(右)。担当編集者とマンガ原作者として組んだ経験も

それでも編集者とマンガ家、マンガ原作者の力関係ははっきりしている。

「武論尊」名義でも『北斗の拳』など多くのヒット作を抱え、読者からは「御大」ともいえる史村先生ですら、編集者との関係を聞かれると「編集者に自分の意見などいったことはない」と断言。「長いものにまかれるタイプ」と自評していた。

史村先生が、複数の出版社で仕事をしていたこともあって、各出版社の編集者の違いについての話も飛び出した。「武論尊」名義で仕事をした集英社については「編集者は『育てたマンガ家は俺のテカ(※テカ=手下のこと)』っていう意識だった」と指摘。かつて集英社の少年マンガ編集部では、新人の時についた編集者が長い間ずっとペアになって仕事をしたためだ。


のちに史村先生は、小学館など他社で仕事をするようになって担当者が変わることに驚かされたという。「小学館の編集者は、マンガ家を育てたという意識がないよね」(史村先生)とも。すると由利さんも「小学館は学年誌から出発したから、作家も編集者もまじめ。アウトローがいないね」と指摘。すぎうら先生も「すごくまじめ」と同意していた。

関さんが「あきれた編集者はいました?」と持ち出すと、史村先生はにやっと笑い「連載中に代わった担当で、会うなり『苦戦してますね。僕がきたからにはトップとらせてみせますね』といった編集者かな」と答えていた。「この人とやるぐらいなら終わってもいいという覚悟だった」そうだ。

「仕事もらっているから、編集者に怒れないんだよな」(史村先生)。さらには史村先生自身から、いやなことがあると、主人公に血を吐かせる(=死ぬかもしれないという予告)など作品内で編集者に“復讐”していたという衝撃の事実まで明らかにされた。ほかの登壇者にも「担当者ってすごいから、NOっていえないだろう?」と同意を求めていた。
話が盛り上がり、大島さん(向かって左端)は再び壇上に呼ばれることに

話が盛り上がり、大島さん(向かって左端)は再び壇上に呼ばれることに



<結局、編集者はどうなるの?>
「今後マンガ編集者はどうなるのか」とお題を会場から振られると、ここでは、描き手側と編集者側で意見が分かれた。

マンガ家やマンガ原作者であるすぎむら先生や史村先生は「最初の読者として必要」と声をそろえる。

すぎむら先生は「いるに決まっているよ」と断言。「最初の読者として間違っちゃダメ」「リアクション芸人でないと」と描き手の立場から訴えた。
すぎむら先生(左)と、史村先生(右)。『右向け左!』で組んだ。史村先生がすぎむら先生をほめ殺しにするシーンも

すぎむら先生(左)と、史村先生(右)。『右向け左!』で組んだ。史村先生がすぎむら先生をほめ殺しにするシーンも

インターネットでマンガを発表する人が増えてきた現状をふまえ、由利さんが「ウェブに直接アップできるし、中間に立つのは誰でもいいのでは」というと、史村先生が「そんなの作り手の自慰行為でしかない」とばっさり。関さんは「僕みたいな編集はいりませんけど」と謙虚だった。
会場では『担当の夜』のほか、すぎむら先生の『右向け左!』も販売。購入者にはサインも

会場では『担当の夜』のほか、すぎむら先生の『右向け左!』も販売。購入者にはサインも

このトークショー開催のきっかけになった小説『担当の夜』そのものが、関さんの「編集者はなぜ必要なのか」という問題意識からスタートした作品だ。「編集者の自分が作家になってみたら……?」と思い立ち、普段と逆の立場になってみようと思って取り組んだという。「文芸誌への掲載→単行本化」を実現した今でも「やっぱりなぜ存在するのかわからない」と率直な考えを語ってくれた。


関さんはこれまで、コミック編集者として、賞を通じて新人を発掘したり、マンガ家が出してきたネームをチェックしたりしてきた。今回くるりと立場を変えて「新人」として小説を書いた関さん。その語りぶりからは、描き手/書き手と編集者がタッグを組んで作品を生み出すその裏側には、表舞台からは見えない複雑な関係と衝撃の事実が数多く隠されていることを実感した。描き手側のユニークさを知りたい方は、ぜひ『担当の夜』を読んでみてほしい。


土田世紀先生の『編集王』から、『バクマン。』『ブラックジャック創作秘話』『重版出来!』と、編集者が登場する作品は数知れない。そもそも作品のキャラクターのモデルになったり、マンガ家自身らに言及されたりと、陰に陽にマンガ家に影響を与えているのが編集者なのだ。
そして編集者のイメージや役割、キャラクターの変化には、マンガそのものの社会的文化的位置づけの移り変わりも影響しているように思える。マンガが子ども文化、サブカルチャーだったときは、そもそも「マンガの編集者になりたい」という人が少なかった。しかし、マンガがクールジャパンを担うコンテンツとなると、マンガを読んで育った編集者やマンガの編集者になりたいという人が出てきているのだ。マンガ文化を支える編集者は、今後はどう変容し、どんな物語を紡いでくれるのだろうか。

[執筆=bookish(マンガナイト)]


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