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  • 月刊少年チャンピオン(秋田書店)にて連載され、単行本の発行部数が100万部を記録した「ハカイジュウ」。一度は完結したものの、12月6日(土)発売の月刊少年チャンピオン1月号から第二部が連載が再開される。そんな「ハカイジュウ」の作者・本田真吾先生とはどんな人物なのか?MangaStyle編集部が話を聞いてみた。

    「ハカイジュウ」1巻表紙。

    「ハカイジュウ」1巻表紙。


    MangaStyle編集部(以下、M):本日は本田先生の漫画家になるまでの遍歴から、「ハカイジュウ」第2部制作の秘話までをお聞かせいただきたいと思います。よろしくお願い致します。
    本田真吾先生(以下、本田):はい、よろしくお願いします。

    M:早速ですが、本田先生は小さい頃はどんな子供でしたか?
    本田:覚えているのは幼稚園の頃「キン肉マン」を毎週欠かさずビデオに撮って観てたことですね。空で台詞が言えるくらい好きでした。今でも覚えていますし…。あとは絵も一応好きで、「キン肉マン」のサンシャインなんかを幼稚園児なりに立体的に描いたりしてました。仲いい友達で絵がうまい子がいたのでそいつと切磋琢磨しながら描いて。それから小学生に上がると細かい迷路を描くっていうブームがきまして(笑)。

    M:あー、ありましたねえ(笑)。
    本田:それにハマって、細かい迷路を家で1人ずーっと描いていました。中心から描いていってノートいっぱいになるまで描くんですね。そのときに一気に視力が下がってしまったんですが、迷路描くのやめたら普通に戻りました(笑)。その頃はあまり漫画を読んでなかったんですが、五年生くらいになって「ドラゴンボール」が載ってるということで週刊少年ジャンプを読み出して。

    M:先生は現在36歳ということですので、「ドラゴンボール」だとほぼリアルタイムな世代ですね。
    本田:そうですね。僕が読みだしたのは2回目の天下一武道会編あたりで、そこからラディッツ、べジータなんかが登場して…。その辺で中学1年くらいでしたかねえ。

    M:ジャンプ以外に漫画雑誌は読まれていました?
    本田:いや、ジャンプをひたすら読んでました。(ジャンプ発売日の)月曜日は人と会いたくないんですよ(笑)。ジャンプ読むから誘わないでくれって友達にも言って。それで月曜日に買ったジャンプを一週間ずーっと読むっていう(笑)。だからジャンプ以外読んだ覚えがない、というか他の雑誌を読む機会がなかったんですね。

    M:「ドラゴンボール」以外で好きなジャンプ漫画は?
    本田:「幽遊白書」とか「ダイの大冒険」とかはもちろん読んでました。それから中学2年のときに学校で「寄生獣」が流行って回し読みしたんですけど、その時に「ジャンプの漫画以外にもこんな面白いのあったんだ!」って知り、「うしおととら」とかを読むようになって。でも人生のバイブルは「寄生獣」ですね。

    M:「寄生獣」と「ハカイジュウ」のデザインは繋がるところがある気がします。当時から特殊生物のようなグロテスクな絵は描かれていたのですか?
    本田:全然描かなかったです(笑)。どっちかっていうと棒人間みたいな絵描いてましたね。棒人間がかめはめ波を打ってるみたいな。あとドラゴンボールの爆発、爆風みたいなのばっか描いてましたよ(笑)。人物は適当に棒人間で、その先が爆発してるってのを一生懸命描いていました。

    グロテスクな特殊生物が「ハカイジュウ」の魅力だ。

    グロテスクな特殊生物が「ハカイジュウ」の魅力だ。

    一日一コマとか描いて、あぁやったぁ‥頑張ったなぁ‥今日って(笑)

    M:なるほど。中学・高校の頃の話をお伺いしますが、部活動は?
    本田:部活はハンドボール部を一応やっていて。だけどあんまりやる気のないほうだったので中2くらいのときに、みんなで一斉に辞めたんです(笑)。高校もハンドボール部だったんですけど、そっちは一応3年間やりました。

    M:ハンドボール自体は好きだったんですね。
    本田:それも微妙なところですね(笑)。やっぱり基本的にインドアなんで運動自体はあまり好きではなくて。一応、高校には漫画研会とかあったんですけど、女子ばっかり集まって漫画を描いていたので、ここには入れねえなあ…って。

    M:高校時代にオリジナルの漫画作品を描いた事は?
    本田:全くないです。高校の頃は割とハンドボールをしっかりやってたんで、漫画を描くということはしなかったです。描きたいなとは思ってたんですけど。ただ描き始めたきっかけは受験勉強で、現実逃避のためにノートに描き始めたのが、なぜか勘違いして「やっぱり漫画家の道だな」って(笑)。

    M:ちなみにそのときの作品の内容はどんな感じのものでしたか?
    本田:そのときも全然作品って感じじゃなくて、適当に人間が殴ってるポーズだけとか(笑)。で、高校を卒業して一応自宅浪人をしていたんですけど、全く勉強する気も起きず机にも座らないんで絵も描かず(笑)。ほんとただ寝てるだけっていう糞みたいなニートでしたよ(笑)。
    そのとき親に「働けや!!」って叱られて、バイトしながら半年くらい過ごしてたんですが、ふと「俺、漫画の描き方わかんねぇーな」って思って漫画の専門学校に入ったんです。そこで学校の関係者に紹介してもらってプロの漫画家のアシスタントになって…5.6年はそこでやっていたかな。

    M:同じ先生のところで5年も勤められていたんですね。
    本田:そうですね、でもちゃんと週4とか週5で入ってたのは最初の2年弱で、そっから4年くらいは週一にしてもらったんですよ、自分の漫画を描くために。で、週一にしてもらったらまた描かないで(笑)。糞みたいなニートに戻ってひたすらダラダラしてました。一日一コマとか描いて、あぁやったぁ‥頑張ったなぁ‥今日って(笑)。そんな感じで全然進まなくて、最初の持ち込みの漫画を描き上げるのに2年かかりました。

    M:その持ち込み作品はどういう内容だったのですか?
    本田:ハンドボール漫画でした。

    M:なかなかニッチなジャンルですね(笑)。ハンドボール漫画といえばジャンプで連載していた「大好王(ダイスキング)」(道元宗紀)を思い出しました。
    本田:もう一つジャンプで「H本田ND’S-ハンズ-」(板倉雄一)ってのがありましたけど(笑)。僕が描いたやつは我ながら酷い内容だったなあ(笑)。

    M:それはチャンピオンの方に持ってかれたんですか?
    本田:そうですね。一応月刊ジャンプと月刊少年チャンピオンへ持って行ったのですが、感触のよかった月刊チャンピオンでやることになって。

    M:持ち込んだ時は編集者さんからどのようなリアクションでしたか?
    本田:ジャンプの編集の方は表紙を見たときに「おお!きたっ!」って思ったらしいんですよ。ただ内容を見て秒数でこりゃダメだと(笑)。

    M:では画力では認められていたんですね。
    本田:そうですね。画力的には割と評価いただいて、今度から打ち合わせしてネームを二人で作っていきましょうみたいなことは言われたんですけど、なんかジャンプ特有の威圧感みたいなものを凄く感じてしまって(笑)。

    M:月刊少年チャンピオンの方へシフトしていったと。
    はい、チャンピオンはまず編集者さんのキャラにビックリしました。(秋田書店の)ロビーで待ってたんですが、向こうからひげ面でアロハシャツを着たピアスだらけの、まるでクローズのキャラみたいな人が近づいてきて(笑)。なんかこっちくるけど…まさか!?いや、こんな編集いないよね?来るな!来るな!って思ってたら、「どうも初めまして」って(笑)。でも見た目はそんなのだけど、割と腰の低い方で僕の作品も持ち上げてくれたんです。なので賞とか出してくれるのかな?って思ったら、「いいねー!でもこれは一旦置いといて」って言われて(笑)。次の描こうって。とにかく絵は褒められるんですけど、内容的に無理だなっていう感じでしたね。

    M:そこから連載デビュー作の「卓球D本田sh!!」に繋がるのでしょうか?
    本田:一応、その次はダーツの漫画を描いたんです。それが佳作を取ったので、その次に卓球の読み切りを描いたら50万円の賞を取って。これが月刊少年チャンピオンに掲載されました。その作品をベースとしたヤンキー卓球漫画が「卓球D本田sh!!」ですね。

    「卓球Dash!!」1巻

    「卓球Dash!!」1巻

    =>断然筋肉だけのおっさんを描くほうが楽しい。

  • 『ヘルタースケルター』『リバーズエッジ』など代表作にとがったイメージがつきまとう岡崎作品。だが、3人が語る“岡崎京子”は人情味にあふれた姿だった。


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    「『ヘルタースケルター』みたいなエキセントリックな感じじゃなくて、本人はすごくバランスのとれた、常識的でまともな人」
     岡崎京子という人間について、デビュー当時から毎日電話する仲だった桜沢エリカさんは語る。

     2015年1月から世田谷文学館で「岡崎京子展」が開かれるのに先駆け、岡崎京子さんについて3人のマンガ家が語らうトークイベントが11月1日に同館で開かれた。

    登壇者は、同年代の親友かつ仕事仲間として30年来の付き合いがある桜沢エリカさん、岡崎さんのアシスタントを経て公私ともに交流が深い安野モヨコさん、そして小学生のころから岡崎作品を追い続けてきたしまおまほさんだ。

    左から司会・佐渡島庸平さん、安野モヨコさん、桜沢エリカさん、しまおまほさん。

    左から司会・佐渡島庸平さん、安野モヨコさん、桜沢エリカさん、しまおまほさん。


    1980~90年代を象徴するマンガ家の岡崎さんは、1996年の交通事故で重い後遺障害を負い、今日に至るまで休業状態が続いている。彼女の親友・愛弟子(かつこちらも親友)・大ファンという3者のトークは、岡崎京子の輪郭をより鮮明にしてくれる貴重な時間となった。司会は株式会社コルク代表取締役・佐渡島庸平さん。

    冷静な視点とあたたかな目線、味のあるダイナミック性

    代表作ともいえる 『ヘルタースケルター』(祥伝社)、『pink』(新装版、マガジンハウス)

    代表作ともいえる 『ヘルタースケルター』(祥伝社)、『pink』(新装版、マガジンハウス)


     『ヘルタースケルター』や『pink』など、岡崎マンガの代表作と呼ばれるものにはエキセントリックな表現が目立つ。描いている本人も精神状態がギリギリであるかのような印象を受けるが、桜沢さんが挙げた「岡崎京子らしい作品」は異なるものだった。

    桜沢「『ハワイ・アラスカ』(単行本『テイクイットイージー』収録)っていう8ページの短編が、ある意味京子ちゃんらしいと思います。高校生カップルがもし新婚旅行するならどこへ行きたいか会話するんですが、男の子はアラスカ、女の子はハワイと食い違って、喧嘩になる話。すごくかわいく素敵な内容で、私はこれみたいにほっこりしたものによさを感じるかなぁ」

    佐渡島「『ヘルタースケルター』のようなイメージと本人は違うんでしょうか」

    桜沢「『ヘルスケ』を読むと作者もイッちゃってる感じがするけど、あれはイッちゃってないからちゃんと描けるのだと思う」

    安野「うん、激昂しているのは見たことない。常にニュートラルでいつも変わりないかな。切り替えも早いです。仕事中に電話が来ても『どうもどうも!』と元気よく出て、終わるとすぐ平常運転に戻るみたいな」

    「ハワイ・アラスカ」収録の『テイクイットイージー』(幻冬舎)と、安野さんが岡崎さんらしいと挙げた『カトゥーンズ』(新装版、 KADOKAWA)

    「ハワイ・アラスカ」収録の『テイクイットイージー』(幻冬舎)と、安野さんが岡崎さんらしいと挙げた『カトゥーンズ』(新装版、 KADOKAWA)


    同じような意味でまさに岡崎さんらしいと、安野さんが挙げたのは『カトゥーンズ』。6ページのショートストーリー24話を収録した短編集で、前回の最後のコマを次の回の1コマ目にしながら、主人公やテーマはまったく異なる話が展開されるという作品だ。

    安野「基本的に京子さんの目線が冷静、でもある種の笑いがある」

    しまお「私も『カトゥーンズ』がすごく好きで。登場人物たちは悲惨な境遇にあるけれど、目線は見守っているようであたたかいんですよね。話の流れと関係ないところに、噴水など日常の風景が入っているのもすごくほっとします」

    キャラをフラットな視点で見つめる作家性と同時に、あたたかい人間性もうかがえる岡崎さん。いつも口紅が口からはみ出しているような気の抜けた一面もあると、3人で笑い合う。

    安野「京子さん、スクリーントーンの扱いが大胆なんですよね。そこらにドッと置いちゃうから裏に消しゴムのカスがいっぱい付いていて、掲載時でも入ったままのやつがけっこうある」

    しまお「私も読んでて、これ消しゴムのカスだなってわかる作品ありました」

    「それも含めてアートだからね」と桜沢さんが不敵に微笑むと、客席からドッと笑いが起こる。

    安野「トーンがはみ出すのも全然普通でしたね。逆に修正しないほうがかっこいいのかなって思っていました。青鉛筆でここカケみたいに指定が入っているんですけど、急いでいるときその通りに抜くと間に合わないからざっくり抜いても、京子さん気がつかなかったりするんですよ。クオリティ優先とそうじゃないタイプの先生がいるんですけど、そこら辺はおおらかな先生です。口紅と一緒でダイナミック」

    「ちょっとはみ出しているのが味になっていて、それが素敵だからねぇ」と桜沢さんはしみじみしながら宙を見つめた。

    卓越した観察眼と独特のセンス

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    同業者から見える岡崎作品の魅力とはどのようなものか。しまおさんがその1つに「おっぱいの描き方」があると指摘すると、桜沢さんもうなずいて「上手いよね」と嘆ずる。

    しまお「これぞ岡崎さんの描くおっぱいだなっていう絵。日記帳とかにすごくいっぱい岡崎さん風のおっぱいを真似して描きました。ほかにも腰のくびれとかハイヒールの足首とかすごく憧れるものがありましたね」

    桜沢「京子ちゃんって身長が150センチちょいなんですけど、絵を見ていると小さい女性が描いている気がしない。すごく背の高い人が描いているような絵」

    安野「京子さんに初めて会ったとき、私は16歳、向こうは23歳。ちびっこって呼ばれたのですが、京子さんは私よりちっちゃかったので『えーっ』て思いました」

    「ハワイ・アラスカ」収録の『テイクイットイージー』(幻冬舎)と、安野さんが岡崎さんらしいと挙げた『カトゥーンズ』(新装版、 KADOKAWA)

    「ハワイ・アラスカ」収録の『テイクイットイージー』(幻冬舎)と、安野さんが岡崎さんらしいと挙げた『カトゥーンズ』(新装版、 KADOKAWA)


    絵のうまさについては安野さんも、葛飾北斎が波の描き方を生み出したように、海の波打ち際、水への泡の入り方などいろんな画法を発明したかもしれないとうなっていた。

    岡崎作品といえばセリフの印象の強さも外せない。それは桜沢さんと安野さんの仕事中に何度も顔を出してくるほどだ。

    安野「京子さんの言葉はダイレクトに入ってくる強いフレーズが多い。私も仕事中にどこかで思い出した京子さんのフレーズを、自分で思いついたように描いているんじゃないか怖くて、一時期はあえて京子さんの作品を読まないようにしていました」

    桜沢「それぐらい強い言葉はいっぱいある。私もふとした瞬間に京子ちゃんのセリフを思い出すことがあるから。絵もそうだけど」

    安野「1回思い出すと、京子さんの言葉がどう考えてもベストなんですよね」

    =>音楽、ファッション、会話……日常を作品に落としこむ力

  • 「マンガ家は、雑誌は、どう生き残るのか」を考えさせられた。(右からIKKI編集長代理の湯浅さん、マンガ家の西島さん、デザイナーの柳谷さん)

    「マンガ家は、雑誌は、どう生き残るのか」を考えさせられた。(右からIKKI編集長代理の湯浅さん、マンガ家の西島さん、デザイナーの柳谷さん)


    日本のマンガ市場はこれまで、「雑誌での作品発表→単行本化」で作品が世に出回り、成立してきた。しかし近年、様々な規模のマンガ雑誌の休刊が相次いでいる。紙媒体での発表の場が減る中、マンガ家はどう生き残ることができるのか。

    10月18日、下北沢の「本屋B&B」で開催されたトークイベント「IKKI休刊とこれから~コミック雑誌の未来、漫画家の未来〜」で示された、雑誌「IKKI」休刊後の「マンガ家西島大介」の新たな挑戦からは、そんな生き残るための方向が垣間見えた。

    当日会場では、雑誌「IKKI」のほか、西島さんの既刊単行本や限定部数のZINE「なんでもありZINE全集」を販売した

    当日会場では、雑誌「IKKI」のほか、西島さんの既刊単行本や限定部数のZINE「なんでもありZINE全集」を販売した


    登壇したのは、「IKKI」編集長代理の湯浅生史さん、マンガ家の西島大介さん、デザイナーの柳谷志有さんの3人だ。西島さんはIKKIコミックスから『ディエンビエンフー』の単行本を発売しており、湯浅さんが編集を担当している。柳谷さんは『ディエンビエンフー』の装丁のほか、「IKKI」本誌の表紙デザインも手がけていた。

    なんと当日の音楽は、デザイナーの柳谷志有さんが「DJ柳谷さん」として担当。ダブなどが流れゆったりしたムードに

    なんと当日の音楽は、デザイナーの柳谷志有さんが「DJ柳谷さん」として担当。ダブなどが流れゆったりしたムードに


    休刊後、イベント開催を活発化した編集部

    第1部のお題はずばり「IKKI休刊」。

    写真3)
    普通は雑誌の休刊が決まると、編集部の動きは縮小するもの。しかし「IKKI」の場合、休刊が決まった後に全国のミュージアムで大原画展を開くなど、むしろ最後の大花火をいくつも打ち上げたようなイメージがあった。

    ――西島大介さん(以下西島) 休刊になるのに、いろいろ元気にイベントやっていますよね。こういうのってあんまりないんじゃないですか。
    ――湯浅生史さん(以下湯浅) マンガ家の方に休刊の連絡をしたあと「おとなしく終わりたくないよね」という話になり、大原画展やIKKI-FESにつながりました。

    2006年、西島さんがIKKIに参加

    西島さんと「IKKI」に縁ができたのは2006年。角川版『ディエンビエンフー』を当初連載していた雑誌「COMIC新現実」が休刊となり、縁があって「IKKI」に移った。何度か担当編集者が変わり、湯浅さんは3代目だという。

    連載がスタートしたときの「IKKI」本誌の表紙

    連載がスタートしたときの「IKKI」本誌の表紙


    「IKKI」連載第1回では見開きカラーページも。水彩で着色したフルカラー原画だったが、現在単行本に収録されているのは白黒印刷にふさわしいように一色で描き直したもの 

    「IKKI」連載第1回では見開きカラーページも。水彩で着色したフルカラー原画だったが、現在単行本に収録されているのは白黒印刷にふさわしいように一色で描き直したもの 


    ――西島 月刊誌の連載ということで「やったるぞー」という気概が伝わってきます。
    ――湯浅 当時の「IKKI」は『ぼくらの』『フリージア』が軸を作っていて、ちょうど黒字だったんです。オノ・ナツメさんの『さらい屋五葉』や五十嵐大介さんの『海獣の子供』もやった頃で、06~07年の2年間は黒字だったんですよね。よく見ると、松本大洋さんはいない。松本大洋さんを柱に始まった「IKKI」だけれども、松本大洋さんが描いていない時期なのに黒字だったんですね!

    『ディエンビエンフー』連載開始のときのラインアップ。『ぼくらの』などが掲載されていた

    『ディエンビエンフー』連載開始のときのラインアップ。『ぼくらの』などが掲載されていた


    ――西島 幸せな時期にデビューさせてもらったと思いますよ。月刊誌に載せてもらえるのが自分としては珍しくて、そのワクワクがありましたね。このときは「IKKI」が終わるなんて思っていなかったです。

    2010年、『ディエンビエンフー』は「IKKI」誌上での連載を終了。これ以降は「単行本描き下ろし」という作品発表スタイルに切り替わったが、予定通りには進まず大幅に遅延した。

    2010年9月号に掲載された連載終了のお知らせはファンを驚かせた

    2010年9月号に掲載された連載終了のお知らせはファンを驚かせた


    ――湯浅 なぜか連載が終わることになりまして。
    ――西島 単行本8巻が出たころですね。当時の担当編集と江上編集長から「西島さん、連載が終わるってどうですかね」と終了の打診がありました。その理由は、「原油危機で紙が高くなっていて、雑誌を薄くしないといけないから」とのことでした。
    ――湯浅 それもよく打診しましたね(笑)
    ――西島 本当ですよね。休刊のお知らせよりかマシだけど。でも、雑誌の売り上げを引っ張るほどの力はないけれど、雑誌がなくても自立できる作品が『ディエンビエンフー』という作品だと編集部が判断したのかなと考えました。あと、僕がスタートした時のように、雑誌上で発表することが大切な作家さんもいっぱいいるだろう。第二部からは部隊が解放戦線側だし、ベトコンのゲリラ兵士がトンネルに隠れて戦うように連載から消えるのも作品のテーマ的に正しいかもしれない、と思ったんです。
    ――湯浅 雑誌は32ページ分をひとまとまりと考え、32ページをいくつか束ねて雑誌にします。17束だったのが、当時13束まで、つまり128ページ分減らさなければいけなかった。編集長は雑誌のコストも懸命に考えていて、あれこれやってなんとか採算が取れるラインに近づけようとしたのだと思う。06~07年に黒字を達成したあと、だんだん(売り上げが)下がってきて、もう17束は支えきれなくなったから、シュリンクさせて小さな所帯にしなきゃいけなくなった。
    ――西島 リストラされたっていうことですかね(笑)。まあ在宅勤務に近い感じになって、僕もいいじゃないかと思ったんですよね。ただ、“毎月”がなくなると、(締め切りに)間に合わなくなりました。描き下ろしの体制に移行して、雑誌の大切さがわかりました。

    その後、『ディエンビエンフー』は、2010~14年の間に3冊単行本が発売された。東日本大震災が起こったことを考えると「悪くないペースだった」(湯浅さん)とのことだ。

    ――西島 震災があった後、多くのマンガ家さんが「このままマンガを描いていていいのか」と悩んで、それぞれの方法で乗り越えたりしてたんだと思うのですが、僕は休載して描き下ろしに移行していたからそこに悩むことはなかったですね。連載もない状態だったので、むしろ今描きたいものを素直に描いてみようと、『ディエンビエンフー』はほったらかして『すべてがちょっとずつ優しい世界』(講談社)や『Young,Alive,in Love』(集英社)など震災をテーマにした作品を連載し始めました。

    西島さんが雑誌での連載をやめてから4年後、「IKKI」は休刊となった。このことに西島さんは「純粋にびっくりした」という。

    =>デザイナー、柳谷さんが見せる『ディエンビエンフー』の世界

  • 熊本にゆかりあるマンガ関係者による講義「『熊本』のマンガ凝集力」の第1部で説かれた、マンガがもつ大きな可能性。

    「マンガっていうのは、人間の大脳の機能に非常に適した読み物なんですよ。」

    「週刊少年ジャンプ」最高部数653万部を達成した元編集長・堀江信彦さんが、マンガがいかに人間の本能に訴える力を持つか、明治大学中野キャンパスに集った聴講者たちへ語る。

    「人間の表情は6種類しかない。喜び、悲しみ、怒り、不安、驚き、嫌悪。マンガの特徴はこれらの感情をデフォルメして描いたところにあるんです。こうした顔の表情を読み取るのは、大脳の上丘と呼ばれる本能に近いものをつかさどる器官。だから言葉の壁を飛び越えて世界中の人に感情を伝える力があるんです」

    講堂に集まった人へ「マンガの力」を語る堀江さん

    講堂に集まった人へ「マンガの力」を語る堀江さん


    熊本にゆかりあるマンガ関係者が講話するイベント「熊本県市長会連携講座 中野・熊本・吉祥寺:『熊本』のマンガ凝集力」が10月25日、明治大学中野キャンパスで開催された。同学教授でもあるマンガ研究者・藤本由香里さん、熊本マンガミュージアムプロジェクト代表・橋本博さん、そして現在はマンガ出版社・コアミックスの代表でもある堀江信彦さん――熊本出身でありマンガ関連の各分野で活躍する3者が一堂に会し、それぞれが抱くマンガというメディアの可能性について説いた。

    『熊本』のマンガ凝集力ポップ

    『熊本』のマンガ凝集力ポップ


    イベントは2部制。第1部では「マンガの力」と題し、マンガが表現メディアとしてどれほど優れているかについて、30年以上あらゆるマンガの仕事に携わってきた堀江さんが講演した。
    堀江さんによると、顔の表情をデフォルメして描いたマンガは、言葉が理解できなくても大脳へ本能的に感情を訴えられる発明品だとのこと。ほかにも、原稿用紙という限られた空間で伝えなければならないという“制約”が、豊かな表現を生み出していったメディアであるとも話す。

    「マンガっていうのは音もないし動きもないからそもそも不自由なメディア。だから物事をうまく表現するために少し“嘘”がいるんです。私が編集者として担当した『北斗の拳』(原作:武論尊、作画:原哲夫)には、人間の“秘孔”を突くと体が破裂する設定があります。原哲夫自身も最初は『そんな風になるわけないじゃないですか』と描くのを嫌がったほど非現実的でしたが、こういう嘘を『気が利いた嘘じゃないか』って思って読んでもらうところに、マンガのおもしろさがあります」

    サッカーは「手を使ってはいけない」という非現実的な設定を、選手・観戦者がルールとして信じこむことで、ゲームに奥深い素敵なドラマが生まれる。マンガも嘘をリアルだと信じこむことで楽しめる表現が、紙とペンから積極的に生み出されたメディアなのだと述べた。

    「人間だけが嘘を嘘だと信じて楽しめる生き物なんですよ。マンガっていうのも私たちだからこそ楽しめる、人間らしいメディアなんです」

    まだ都知事を務めていたころの石原慎太郎さんにもこの話をした際は、マンガに懐疑的であった石原さんは、話を聞き終えて「君のご高説はもっともだな」とメモをとったという。

    にこやかに、笑い話を織り交ぜながら講義を進めていく

    にこやかに、笑い話を織り交ぜながら講義を進めていく


    さらに大きな表現力を持つマンガを世界的な産業に発展させていくためには、日本のマンガを翻訳して海外に売り出すことではなく、日本で生まれた「マンガの文法」そのものを輸出していくことが重要だと考える堀江さん。マンガの文法とは、1947年に手塚治虫さんが『新宝島」で生み出した、原稿用紙の中でストーリーの進行をコマ割り・構図で表現する技法だ。

    「言葉の壁って想像以上に大きい。例えば『シティハンター』(作者:北条司)には冴羽リョウが女性にスケベ心をもって放つ『もっこり!』ってセリフがあるんです。日本の女性ならクスリと笑ってくれる。だけど海外では該当する言葉がないから、無理やり意味の近い単語に落としこむと、えげつなくて露骨な表現になっちゃうんです」(堀江さん)

    いくらマンガのデフォルメ表現が大脳に訴えようが、海外の読者は本来のニュアンスとは異なる翻訳語に引っ張られてしまう。さらには倫理、宗教観の違いで、日本人なら許されるエロスや笑いも海外では通用しないことも多い。堀江さんが過去にアメリカでマンガ誌を創刊したときも、日本で活躍する連載陣をそろえても「全然ダメ」だったそうだ。

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    この経験を踏まえ、「まずは日本の文法を海外へ伝え、そこからその国独自のマンガ産業を育てていくべきだ」と堀江さんは説く。手塚治虫さんから生まれたマンガの文法が、あとから続いたマンガ家たち、出版社の手によって日本ならではのビジネスへ発展していった経緯を、海外でも再現するということだ。

    「日本のマンガの文法をまずは海外の若い人たちに教える。その子たちが自分の国に持ち帰った文法で、自分の国の人のために傑作を描く。そうして初めてその国の人々はマンガを知ることになる。日本は平行して、その国でマンガが出版され、流通がなりたつよう働きかけたり教えたりしていく。このようにマンガ産業を育てていくことが、マンガが世界にきっちり輸出される、発信されるということだと思います」

    堀江さんはこの理念へ実験的に取り組むかのように、2013年から「サイレントマンガオーディション」を世界で展開している。サイレントマンガとは、言葉を使わずにコマ割り・構成などの演出力や画力、ストーリーだけで表現するマンガ。まさに『新宝島』のようなマンガの原点といえる形式だ。オーディションでは第1回で53の国と地域から514作品の応募があり、今後ますます規模が拡大すれば「マンガの文法」の伝搬に大きな期待が持てる。

    「マンガはゲーム化や映画化など、あらゆるメディアのエンターテイメントの源流となりうる。それは何千億円というビジネスになります。その源流であるマンガと、その文法が別個にあることをご理解されれば、マンガを学ぶという価値は、世界の技術に通用する技術を手にするのと同じくらいすごいことなんです」

    自分の中にあったマンガの可能性をうんと広げてくれるような話の数々。「マンガに関わることは素敵な商売だよってことを若い方たちには本当に伝えたいかな」と笑って締めた堀江さんに、集まった学生たちは大きな拍手を送った。

    第2部では藤本由香里さんが、鳥取県の「水木しげるロード」の成功例を軸に、熊本県天草の島々で「ワンピースランド」を作る構想を展開

    第2部では藤本由香里さんが、鳥取県の「水木しげるロード」の成功例を軸に、熊本県天草の島々で「ワンピースランド」を作る構想を展開


    最後は橋本博さん交え、熊本出身のマンガ関係者同士で鼎談。熊本にあるマンガの可能性について話に花を咲かせた

    最後は橋本博さん交え、熊本出身のマンガ関係者同士で鼎談。熊本にあるマンガの可能性について話に花を咲かせた


    [取材・文=黒木貴啓(マンガナイト)]

    ▼関連リンク

    明治大学 熊本県市長会連携講座 中野・熊本・吉祥寺:「熊本」のマンガ凝集力
    https://academy.meiji.jp/course/detail/1908/

    コアミックス
    http://www.coamix.co.jp/
  • クラウドファンディングで見事「あいこのまーちゃん」プロジェクトを達成したやまもとありさ先生が登場

    こちらのインタビューは9月19日に放送された「みっつBAR」という、マンガ家のなかむらみつのり先生がBARのマスターに扮し、漫画家や漫画原作者など漫画関連の豪華ゲストをお迎えして漫画や人生についてグラスを片手に語り合うニコ生番組の中で行なわれたものです。

    今回のゲストは漫画家のやまもとありささん(ex「あいこのまーちゃん」)。「あいこのまーちゃん」は今年6月にWeb漫画サイト「コミックぜにょん」でやまもとさん初の連載作品として始まるはずでしたが、編集部の独断により開始2日前に連載中止となりました。 そのことは漫画ファンの間で大きな話題となり、やまもとさんは現在は連載中止となった『あいこのまーちゃん』を電子書籍販売すべく、クラウドファンディングで資金を募りながら、作品の執筆を続けています。 漫画家デビューまでの道のりや連載中止からクラウドファンディングで執筆を再開するまでのお話、創作へのこだわりをたっぷり語っていただきます。

    では、さっそくどうぞ。

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    なかむらみつのり(以下 :マスター):漫画家 なかむらみつのり&佐藤秀峰presents「みっつBAR」がOPENします。毎回豪華ゲストを迎えて、漫画や人生についてグラスを片手に語り合います。 第8回目となる今回のゲストは、漫画家のやまもとありささんです。やまもとさんはこれまで何本かの読み切りを発表している新人マンガ家さん。連載作品はまだありませんが、現在執筆中の「あいこのまーちゃん」が初連載&代表作となる予定です。

    「あいこのまーちゃん」は今年6月にマンガWEBサイト「コミックゼノン」で、やまもとさん初の連載作品として始まるはずでしたが、編集部の独断により開始2日前に連載中止となりました。そのことはネットニュース記事にも取り上げられ、マンガファンの間でも大きな話題となったことは記憶に新しいですね。今日はその辺りのお話を突っ込んでお聞きしたいと思います。さらにやまもとさんは現在、クラウドファンディングで資金を募りながら、作品の執筆を続けているということで、そのお話もたっぷりお聞きしたいと思いますよ。果たして今宵はどんな話が飛び出すのやら。バーの夜は更けていきます。ということで、本日のゲストはやまもとありささんです。今日はよろしくお願いします。

    やまもとありさ(以下:やまもと):こんにちはー。

    マスター:という訳で、まずはいつものように、やまもとさんのプロフィールから。

    佐藤秀峰(以下:店員S):はい。アシスタントの佐藤秀峰です。やまもとありささんのプロフィールをご紹介させて頂きます。やまもとありささんは日本のマンガ家です。「進撃の巨人」が大ヒットしている諌山創さんの作画スタッフを、2012年6月から2014年3月までの1年半に渡って勤めておられました。 スタッフをしている間の2013年にコミックゼノン4月号で読み切り「路上の唄」でデビュー。同年、週刊ヤングジャンプ16号で原作・福星英春さん、作画やまもとありささんで、「宗像くんと日下部さん」という読み切りを掲載しております。その後、2014年コミックゼノンで「空のスペルマ」という読み切りを掲載しております。現在は「あいこのまーちゃん」執筆中ということです。

    あいこのまーちゃん

    あいこのまーちゃん

    マスター:はい、ありがとうございました。今回「あいこのまーちゃん」が話題になっていますが、そのお話を伺う前に、まずは「やまもとありさ」という漫画家がどうやって漫画を描くに至ったかをお聞きしたいと思います。そもそも漫画を描き始めたきっかけは?

    やまもと:描き始めたのは小学校1年生の時です。アニメの影響でそれをパクッて描いたのが第1作目ですね。当時NHKでやってた「アリス探偵局」っていう推理物のアニメあって、それを「ありさ探偵局」ってもじって推理マンガを描いてたんですよ。

    出典 http://www.amazon.co.jp/アリス探偵局I-DVD-佐久間レイ/dp/B009Z458UO

    出典 http://www.amazon.co.jp/アリス探偵局I-DVD-佐久間レイ/dp/B009Z458UO

     

    それがクラスメイトにウケたんで、次は当時「金田一少年の事件簿」が流行ってたので、クラスメイトを主人公にして、パロッて描いたり…流行ってたものと友達を当てはめてマンガにするっていうことをしてましたね。

    出典 http://ecx.images-amazon.com/images/I/511GDPN2Q0L.jpg

    出典 http://ecx.images-amazon.com/images/I/511GDPN2Q0L.jpg

     

    マスター:小学1年生の時に「金田一」かよ…。「金田一」が流行った時にはオレはもうおじさんだったよ。でも、そういう遊びから漫画を描き始めたというのは、よく聞くお話ですね。でも、そこからプロもを目指そうとなるには、どこかに投稿したり賞を獲ったり、何かきっかけが必要だと思うんですけど、それはどこから?

    やまもと:小6の時に「りぼん」に投稿してますね。

    マスター:え!?小6で?

    やまもと:小6で4コママンガを描いて「りぼん」に投稿したら、一番下のBクラスっていうのに名前が載って。「りぼん」って応募者全員名前が載るんですよ、今は分かんないですけど。 すっごいちっちゃく名前が載ってて、その時は「うわー嬉しい!」と思ってました。

    マスター:それでその時はどんなマンガを描いてたんですか?

    やまもと:4コマ漫画なんですけど、パンダと女の子が絡むストーリー的なマンガを描いいました。今流行ってるじゃないですか?ストーリーになってる4コママンガ。それを描いたら4コママンガはストーリーにする必要はないっていうことを講評で返ってきて、必然性がないってことが書かれてて。一行、二行でしたけど。

    マスター:時代が早過ぎたんですかね。少年誌とか青年誌だと賞に入らないとコメントなんてくれないようなイメージですけどね。そっからマンガ家になろうって決めてたんだ?

    やまもと:小1くらいのときから漫画家にはなりたいとは思っていました。でもペン握ったのは小5くらいですね。 「りぼん」に送った後は、地元の新聞のマンガ賞に出しました。2、3本くらい。高知新聞の「黒潮マンガ大賞」という賞で、それは全国公募なんです。それが毎年6月に締め切りで、中1頃からちょこちょこ出してたんですが、20~21頃に初めて賞を獲りました。

     

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    ※「黒潮マンガ大賞」
    高知新聞社が1989(平成元)年の本紙創刊85周年を記念して創設した。第1回から第17回までは「コマ漫画」と「ストーリー漫画」の2部門で実施し、2006年の第18回からは「ショートストーリー漫画部門」に一本化した。ストーリー漫画に特化する形で、プロの漫画家として活躍できる才能を発掘していく。審査員はくさか里樹さん、西原理恵子さんと小学館の漫画雑誌編集者。大賞、準大賞、入賞のほかに「編集者特別賞」があり、小学館が発行する漫画雑誌などへの作品掲載の道も開かれている。6月下旬締め切りで募集、8月上旬の高知新聞に作品を掲載して発表する。

    公式サイトhttp://www.kochinews.co.jp/kurosio_manga/kurosio_top.htm

    マスター:その黒潮マンガ大賞っていうのは入賞するとどうなるの?

    やまもと:最初は西原理恵子先生とくさか里樹先生が審査員をされてて、後から八巻さんっていう小学館の編集者の方が審査員を務められていて。それで賞を頂いて、受賞者全員に八巻さんが面談して下さるんですよ。今後プロになるにはどうするかっていうのを個人で2時間くらい面談して。

    店員S:ちなみに八巻さんという方は、西原理恵子先生の担当編集者で小学館の名物編集者ですね。西原理恵子さんの画力対決の司会もされている方で、非常に企画がお上手な方という印象です。

    マスター:それでどういう話をされたんですか?

    やまもと:その時は上京してなかったんで、上京を勧められましたね。「マンガ描くなら上京しろ」って。私は東京に行きたいと思ってて、バイトしてお金貯めてたんで、もう決意は固まってたんで、「じゃあ行きます」と。東京に出てきたのは21歳ですね。

    店員S:そこからはどんな人生を?

    やまもと:上京はしたんですが、地元でバンドをやってたこともあって、すぐに地元に帰りたくなったんですよ。なので未練がないようにって漫画の専門学校に通って、でも、それは1年で辞めて、そこからアシスタント生活ですね。バンドはいろいろやってました。着ぐるみ着てギター弾いたりとか。楽しかったんですけど、私が辞めてバンドも解散してという感じですね。

    マスター:当時はバイトとかしながら?

    やまもと:そうですね、コンビニでバイトをしながらマンガ描いていました。その後専門学校2年目になってからアシスタントを募集してたので、それで応募したら受かったので、アシスタントしながら学校に通ってたんですよ。でも両立が難しくなってアシスタントの方が勉強になるなと思って、専門学校を辞めてアシスタント1本にしました。その時は連続で10日くらい入ってたんでキツかったですね。

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    マスター:初めてのアシスタントで、マンガの世界に触れてみてどういう感じでした?

    やまもと:ええっと…プロの技を初めて目にしたっていう感じですかね。プロの原稿を見て、「紙一枚なのにこんなに世界が広がるんだ!」と思って。そこでは1年半くらいやって、そこから転々とヘルプとかいろいろ。何カ所くらいだろう…多分7.8カ所くらいは、1日2日のヘルプ合わせたらそれくらいです。

    店員S:アシスタントと言えば、2012年6月から「進撃の巨人」諫山創先生の作画スタッフを務めてらっしゃるんですよね?

    出典 http://www.amazon.co.jp/進撃の巨人-1-少年マガジンKC-諫山-創/dp/4063842762

    出典 http://www.amazon.co.jp/進撃の巨人-1-少年マガジンKC-諫山-創/dp/4063842762

    マスター:「進撃の巨人」はどんな感じでした?

    やまもと:えーとそうですね、駅前で待ってて、「あ、初めまして」みたいな。「お願いしますー」みたいな。で、仕事が始まってトーン(貼り)から。

    マスター:諫山先生は(作業は)デジタルとアナログを分けてらっしゃるの?

    やまもと:いや全部アナログです。

    マスター:あ、やっぱそうなんだ!枠線とかも全部アナログ?

    やまもと:そうですね、原稿用紙に描いていく感じです。作業は主に壁を描いたり…、トーン貼ったりですかね。いろいろです。

    マスター:あれだけの作品ですから描きこみもすごいじゃないですか?アシスタントは何人くらいいたんですか?

    やまもと: 席は3つくらいで、7~8人くらいで回してた気がしますね。月刊なので選びたい日数を選んで入るみたいな。時間もすごくきっちりしていて、「何時から何時まで」みたいな。すごくきっちりしてました。

    マスター:その時に自分のネームを(諫山)先生に見せたりしないんですか?

    やまもと:したことないですねえ。忙しそうですし。

    マスター:アシスタントやってる時にいろんな編集者さんたちが来るでしょ?その時に「この子のマンガを見てやってよ」みたいなチャンスはないの?

    やまもと:特に…。でも、編集者の方はたまに来てました。後、取材とか。カメラが来てる時とかありましたね。私もちょっとだけテレビに映りました。

    マスター:それもあるけど、そこからデビューのチャンスみたいな?

    やまもと:う〜ん…、特に…。

    マスター:いや、何かあるでしょ?

    店員S:あの…、そんな「売れっ子の近くにいたらオコボレがあるでしょ?」的な話をしつこく…。さて、やまもとさんはいよいよ2013年にコミックゼノンで読み切り「路上のうた」という作品でデビューします。その時の話なんかどうですかマスター?

    マスター:そうそう、その時の話を聞きたかったんだよ!そこは持ち込みですか?投稿ですか?

    やまもと:投稿ですね。投稿して賞に入って、受賞作がデビュー作です。その前にも「ちばてつや賞」で一度賞を頂いていたんですけど。ちば賞は3.4年前くらいかな…。そちらは賞を頂いて、そこで「原作つきのお話で頑張ろう」ってなってたんですけど、形にならなくて。ずっとネームをやりながら先が見えない状態で、原稿描きたいなって思ってて。たまたま知り合いがゼノンに載ってたので、ゼノン買って読んでたらマンガオーディションっていう賞を募集してたので…なんか「セリフなしで8ページから19ページくらいのマンガを募集」っていう内容だったんですよ。 で、セリフなしなら楽だなって思って。気休めっていうか、もう原稿が描きたかったのでそれに出そうって思って出したら、賞を頂いて2.3カ月後に載ったって感じですね。

    店員S:これが「路上の唄」ですね。

    「路上の唄」

    「路上の唄」

    やまもと:はい。もう初めて載ったんですっきりしたっていうか。「ああああ、やっとかよ!」みたいな。

    店員S:このあとすぐに週刊ヤングジャンプに「宗像くんと日下部さん」という読み切りが掲載されてるんですね。原作付きで福星英春さん。

    やまもと:そうです。福星英春さんがヤングジャンプで担当を持ってて、ネームが通ったので描いてくれないかっていうことで、知り合いだったので、私が絵を描くということになって。 いや、でもアンケート全然人気がなくて…。ラブコメのギャグみたいな感じだったんですけど。

    「宗像くんと日下部さん」

    「宗像くんと日下部さん」

    店員S:それで約1年後の2014年5月のコミックゼノンに「空のスペルマ」という作品が掲載されております。

    やまもと:そうですね、まずバンドマンの話が描きたいっていうのが第一にあって、それで流れ流れて、「子どもが出来て大人の道を選ぶか、どうしようか?」って悩む男の話です。で、あれは自分でもビックリなんですけど一発でネーム切ってOKだったんですよ。

    「空のスペルマ」

    「空のスペルマ」

    マスター:それはなかなかないよねえ。

    やまもと:なかなかないですよ。「こんなムチャクチャでいいの?」って(担当編集者に)聞いたら、「いやこれいいよいいよ」って言われて。「奇跡だ…」と思って。

    マスター:新人さんで一発でネーム通るなんてなかなかないよねえ。むしろ新人に一言言うくらいのことが連中は仕事だと思ってるくらいだからね。

    やまもと:だから逆に自分でこれちょっとどうなのかなって思って、自分でちょっと小細工して逆にその直しみたいなことはしました。

    店員S:プロフィールを見ていて思ったんですけど、5月号で「空のスペルマ」ってのが載ってて「あいこのまーちゃん」が、連載中止決定が6月とかだったんですよね?

    やまもと:そうですそうです。実は「空のスペルマ」はゼノン5月号って書いてますけど3月の末に発売だったんですよ。で原稿自体はその前の年の12月末に仕上げてたんですよ。なので3ヶ月間は次の連載ネームに費やそうと思って描いてて、それで3月の上旬くらいに「あいこのまーちゃん」を思いついて描いて、3月末の会議に通ってそっから話がどんどん進んでいった感じです。

    マスター:で、そこからその「あいこのまーちゃん」がいろいろ問題になっていくんだね。

    やまもと:そうですね。

    =>「あいこのまーちゃん」

  • 漫画家はその人のみで漫画家にあらず! 必ず影響を与えた「誰か」がいたり、「何か」があるもの。

    「源流を探すマンガ旅」では、その漫画家が一体どんな「他の漫画家」に影響を受け、今生み出している作品にどう表現されているか、漫画家の “源流”を辿っていきます。 第3回目は高瀬志帆先生の源流を辿るとともに、これまでと少し方向性を変えて高瀬先生ご自身の作画表現や、漫画家としての活動について伺いたいと思います。

    [構成・執筆=川俣綾加]
    ▼プロフィール
    高瀬志帆
    12月21日生まれ、趣味は散歩、耳かき、音楽。『めざせ!山カゾク』(双葉社)、『この育児がすごい!!』(秋田書店)ほか作品多数、現在は『おとりよせ王子 飯田好実』(コミックゼノン)、『イケナイ家族(ファミリー)』(エレガンスイブ)を連載中。
    twitter:https://twitter.com/hoshi1221
    ▼プロフィール
    謎の漫画家・R
    画業20年目を迎えたことで後輩作家達が親分のような扱いをされているが、実際は普通の気の弱い優しいおじさんであることを言い出せずにいる。好きなものはもつ焼きとホッピー。ぼちぼち社交性はあるが、居酒屋に1人では入れない。

    この雑誌の中で自分は何を求められているのか?

    「おとりよせ王子飯田好実」第1巻

    「おとりよせ王子飯田好実」第1巻

    —R
    今日はよろしくお願いします。高瀬先生は今コミックゼノンで『おとりよせ王子 飯田好実』を連載中ですが、初めは高瀬先生がコミックゼノンで、と聞いてちょっと意外な気もしました。これまで女性向け雑誌がメインかなと思っていたので。

    —高瀬志帆先生(以下、高瀬)
    そうですね、声をかけて頂いた時は「私は何を求められているのだろう?」と立ち止まって考えました。おっしゃる通り元々は女性誌出身で、女性誌って情報量を詰め込みすぎないように描くのがセオリーなんです。そんな私に声がかかったということは、数々の濃度の高い連載作品のあるコミックゼノンの中では箸休めを求められているのかも、と考えました。

    —R
    コミックゼノンの他の連載作品って、すごく画面の密度が高いですよね。読み応えがあるというか。

    —高瀬
    青年誌は個人的に好きなんですが、全てのページで画面が濃いと読者は疲れてしまうっていうのもあります。緩急がついていたほうが良いのではないかと思ったのと、連載は東日本大震災前にスタートしたのですが、1巻が出てすぐの頃に東日本大震災があって。

    —R
    あの災害は、漫画家の考えをすごく変化させるものでした。

    —高瀬
    私もその1人で、人間関係の話など物語性も出していますがそれぞれの価値観で楽しく暮らしている人を、何も考えずに肩の力を抜いて読めるような作品があっていいんじゃないかと思い、今のような方向性になりました。

    高瀬志帆先生は自宅の一室で原稿を描いている

    高瀬志帆先生は自宅の一室で原稿を描いている

    コピック、トレース台などが置かれている

    コピック、トレース台などが置かれている

    —R
    雑誌からオフォーが来て、「なんで自分に連絡をしたのだろう」と立ち止まって考えるのは僕もあります。なかには「自分は巻頭カラーを取る!」とか「絶対1番になる」という方もいるみたいですけど。

    —高瀬
    作家性でやっているタイプでもないので(笑)、やっぱり役割とか、そういうことを考えるのも大切かなと思います。あとは、青年誌で男性ではなく私に話が来た、というのも意識しました。

    壁にはドラマ化した時のポスターも。サイン入り!

    壁にはドラマ化した時のポスターも。サイン入り!

    —R
    グルメマンガの案は高瀬先生からでしょうか? 食にもともと興味があったのでしょうか。

    —高瀬
    モデルというわけでは無いのですが編集さんがお取り寄せ大好き、というところから始まりました。私自身も子どもがいてしょっちゅう取材に出られるわけではないのでピッタリというか、正直いうと助かっています(笑)

    “淡い画面”、だが情報密度は高く

    —R
    今回、特にお聞きしたいのは『おとりよせ王子〜』の画面の濃度についてなんですよね。線が多くて黒いというわけではないのに、画面から受ける印象は「濃い」。情報量が多いことになるんですかね。それを意識的にやっているのでしょうか?

    —高瀬
    初期の頃は他の掲載作品に引っ張られて「濃くしないと」みたいな気持ちもあって、1巻だと線を引いた後に顔にトーンで影をかけたりして濃度を出したり……。でも単行本で見てみると情報量が多すぎる気がしたんです。雑誌だと浮かないんですけれど。先ほどのお話に出た「自分に仕事が来た理由」にもつながるのですが、男性と同じようなことをやってもしょうがないんじゃないかって思い至ったんです。

    —R
    なるほど。

    —高瀬
    もう一つ、初期はもう少しイラストっぽい絵柄でもいいかなと思いましたが、そうすると手癖が出やすくなるのでアシスタントさんが変わるとバランスが変化してしまうんです。そうすると私の作業量が増えてしまって、分量的に厳しくなってしまう。

    —R
    色々な検討を重ねた上での今のバランスなんですね。

    —高瀬
    単行本は女性が手に取ってくださることが多く、そこで女性誌での経験上、画面に線や情報を詰め込みすぎると良く無い、空間をきちんと作らないといけないということで、単行本のみで見た時のバランスを想定して作画しています。人物はあっさり描いて、食べ物はリアルに、濃く。そのほうがメリハリがきいていい画になる。まだ試行錯誤中ではありますが、そう考えています。

    —R
    確かに高瀬先生の描く食べ物はすごくリアルで、食欲がそそられます。刻んだネギなど細部まで描くことでおいしさが増す、ということですね。

    —高瀬
    最近特に思うのは、湯気は多めに描いたほうが臨場感が出るということですね。食べ物のツヤも写真より増やしていたり、たれていない部分にも液体をたらしたり、写真そのままではなく脚色しています。

    —R
    なるほど、湯気があるのと無いのとでは、全く違います。

    —高瀬
    やっぱり、食べるのが好きな人が描くグルメマンガってすごく美味しそうだと思うんです。新久千映先生の『ワカコ酒』なんて、もう新久先生は絶対お酒好きでしょ! みたいな。読者に伝わってしまいますから。

    —R
    今は読者もニッチになっているから、嘘をついてしまうとバレるんですよね。やらされ仕事は嘘が出る。

    —高瀬
    そういうの、ありますよね。『おとりよせ王子』は美味しいものが好きで、だからといって四六時中家をあけられるわけではなく、「おうちで色々できれば嬉しいな」という私にピッタリな作品なんだと思います。

    P3254984
    トーンを収納する棚。部屋全体や机もそうだが、どれも美しく整えられている

    トーンを収納する棚。部屋全体や机もそうだが、どれも美しく整えられている

    —R
    料理はもちろん、パッケージなども細かく描かれていますね。

    —高瀬
    細かくて大変な時は一度撮影してからトレースして、線を間引いたりなどしています。写真は撮らないと、特に女性のアシスタントさんは縦パースを取らずに入れてしまうことがあるんです。例えば遠くにあるコーヒーカップを撮影して、ただクローズアップしただけのコーヒーカップを描いてしまったり。女性誌全体がそういう傾向があるのかもしれません。

    —R
    僕もそれでアシスタントさんに描き直してもらうことがあります。車のはずがマッチ箱にタイヤついてるみたいな絵になっていることがあったりして。

    —高瀬
    青年誌はちゃんと構造、パースを考えて描かないとリアリティが出ないんです。

    —R
    パース理論がわかっている女性の漫画家さん、というのがもしかしたら画面の情報量の話につながってくるのかもしれません。曖昧にするのではなく、きちんと細部まで描き出しつつ、間引くところは間引く。

    —高瀬
    私ができているかというとまだまだですが、なるべく臨場感が出るようには意識しています。

    —R
    高瀬先生のような作画スタイルを「逃げない」という風に僕は言っていて、パースがわからないからと逃げる、曖昧に描くのではなくちゃんとパースをとって描くことで、テーブルの上にソーサーがあってその上にカップがあって、これは高瀬先生のコーヒー、こっちは僕のコーヒーと伝わる画になると思うんです。

    —高瀬
    『おとりよせ王子』でも徹夜続きのIT企業を描く時、ただパソコンがのったデスクを描くのではなく、ケーブルがちょっとゴチャついてたり栄養ドリンクが乱雑にならんでいたり……そういうディテールをパースをつけて最後まで描き切るのは大切。アシスタントさんにそういう部分をお願いすることはけっこう多いです。

    —R
    技術と根性がいい画面を生むんですね。

    【Rのふり返り】
    掲載誌における自らの作品の立ち位置を考え、画面構成、画風もシフトさせるバランス感覚が高瀬先生の表現の礎とも言えるのではないだろうか。

    (後編へ続く)

  • 「僕のおじいちゃんが変な話する!」で人気のギャグマンガ家が登場!

    こちらのインタビューは9月19日に放送された「みっつBAR」という、マンガ家のなかむらみつのり先生がBARのマスターに扮し、漫画家や漫画原作者など漫画関連の豪華ゲストをお迎えして漫画や人生についてグラスを片手に語り合うニコ生番組の中で行なわれたものです。

    無料漫画アプリ「マンガボックス」にて『僕のおじいちゃんが変な話する!』を大人気連載中の浦田カズヒロさんをお迎えして、漫画家デビューまでの道のりやデビュー後のお話、創作へのこだわりをたっぷり語っていただいています。では、さっそくどうぞ。


    (左)浦田カズヒロ先生、(右)なかむらみつのり

    (左)浦田カズヒロ先生、(右)なかむらみつのり先生

    なかむらみつのり(以下 マスター):第7回目となる今回のゲストは、漫画家の浦田カズヒロさんです。代表作は「僕のおじいちゃんが変な話する!」。今話題の無料マンガアプリ「マンガボックス」にて大人気連載中です。10月9日には第2巻が発売となる気鋭の漫画家さんです 。本日は漫画家デビューまでの道のりやデビュー後のお話、創作へのこだわりをたっぷりと語って頂きます。果たして今宵はどんな話が飛び出すやら。ということで、本日のゲストは浦田カズヒロさんです。今日はよろしくお願いします。

    浦田カズヒロ(以下 浦田):よろしくお願いします。

    佐藤秀峰(以下 店員S):アシスタントの佐藤秀峰です。主にカメラの操作や放送の裏方をしております。時々、お話にも参加させていただきますね。

    マスター:そして今日はもう一人、遊びにきてくれた方がいます。

    吉田貴司(以下 吉田):漫画家の吉田貴司です。たまたま遊びにきたら放送があると聞いたもので、横で見させていただいてます。

    マスター:どんどん(司会の技を)盗んでいってよ。では、カンパーイ!

    浦田&店員S&吉田:カンパーイ!

    マスター:まずは浦田カズヒロさんのプロフィールのご紹介です。秀ちゃん読んでいただけますか?

    店員S:はい、浦田カズヒロさんは日本のギャグ漫画家さんです。漫画アプリ「マンガボックス」にて「僕のおじいちゃんが変な話する!」を連載中の漫画家さんです。「マンガボックス」とは、講談社とDeNAが協力してやってるマンガアプリで、今とても話題になっています。浦田さんは、2009年5月第3回ヤングジャンプGAG1グランプリ大賞受賞し、2009年7月「馬男-UMAO-」をヤングジャンプに掲載。10月にも第2弾が掲載され、その後、2010年2月に「それいけ!アナルくん!!」がヤングジャンプに掲載。そして2013年に誕生したマンガボックスの第1号から「僕のおじいちゃんが変な話する!」を連載中となっております。

    「僕のおじいちゃんが変な話する!」

    「僕のおじいちゃんが変な話する!」

    マスター:はい、そんな浦田カズヒロさんです。そして、こちらは「僕のおじいちゃんが変な話する!」の単行本第1巻です。発売はいつ頃でしたでしょうか?

    浦田:今年の7月に出ました。

    マスター:これが、マンガボックスに掲載されていたものですね。そもそもマンガボックスというのはどういう形式で出されているものなのでしょうか?

    浦田:さっきもちょっと説明があったんですけど、講談社とDeNAが組んでやってる漫画アプリです。スマホとかiPadとかで読めるやつですね。何話かまで無料で読めます。

    店員S:一応 Wikipedia読みましょうか。
    「マンガボックス」(Manga Box)は、DeNAが2013年12月4日から配信しているIOS/Android用雑誌アプリ。アプリ・購読料は無料。 編集長は樹林伸。ウェブコミック誌のアプリ形態を採っている。 毎週水曜日から毎日3~5作品を更新し、1週間で全作品が更新される。 最新話の次の話がグレーアウト表示されているものの一部は「シェアして次号分を先読み」することができる。バックナンバーは基本的に、最新号を含む過去12号分が無料で読める。例外もあるそうですが、過去12号分よりも前の部分については、電子書籍、単行本として販売し、それにより収益を得ることを見込んでいるビジネスモデルだそうです。ダウンロード数は、2013年12月26日に100万、2014年1月7日に200万を突破したということで。

    浦田さん:現在はたぶん500万を超えてますね。

    マスター:すごいですね。そちらの方で連載されているということで、単行本は次がもうそろそろ出るんですよね?

    浦田:2巻が10月9日に出ます。

    マスター:すごいじゃないですか。「この2巻がもうすぐ出ますよ(放送は9/19)」ということで。放送をご覧の方で「1巻を買った」っておっしゃってる方もいますね。

    浦田:ありがとうございます。1巻も2巻もどんどん買って下さいー。

    マスター:(浦田さんのTシャツを指して)このTシャツ、さっき言った2012年にヤングジャンプに掲載された「それいけ!アナルくん!!」ですよね?

    浦田:そうです。

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    マスター:アナル漫画を描いてたんですね。

    浦田:別にアナル漫画専門に描いてたわけじゃないんですけど、これのイメージが強すぎて…。マスターからは「アナル」と呼ばれ、他の友人数人からも未だにアナルと呼ばれています。

    マスター:で、僕がアナル先生とお会いしたのは結構前なんですけど、当時、おおひなたごうさんが主催されていた「ギャグ漫画家大喜利バトル」に、2人とも出てたんですよね。

    *「ギャグ漫画家大喜利バトル」おおひなたごうの呼びかけのもと集まったギャグ漫画家たちが、観客を前に1対1でトーナメント形式の大喜利バロツを行なうライブイベント。朝倉世界一、うすた京介、喜国雅彦、しりあがり寿、田中圭一、とり・みきなど、出場メンバーには豪華漫画家が名を連ねる。2008年から開催された。

    浦田:まあ予選ですけどね。

    マスター:アレ?予選だっけ?その時に初めてお会いしてるんですけど、その時からずーっとギャグをやられているんですよね。打ち上げの時に初めて話したんじゃなかったかな?

    浦田:そうです、打ち上げでマスターに「面白かった」って言ってもらえて。

    マスター:そうそうそう、そこらへんから仲良くさせてもらってたんですけど、それからなかなか時間かかったよね、連載までに。

    浦田:ホントにかかりましたね。

    マスター:僕と出会った時には一応ヤンジャンでデビューしてましたよね?

    浦田:デビューは2009年にしていました。ヤンジャンのGAG1グランプリで大賞を受賞して、それが「馬男 -UMAO-」っていうデビュー作だったんです。ずっとヤンジャンの連載会議にネームを出し続けてて、3ヶ月か4カ月に一回くらい会議があって最初の頃は毎回のように出してたんですけど、まあことごとく落ちて、まあちょこちょこ読み切りは載ってたんですけど、なかなか連載まで行けずに3年くらいたったのかな?担当(編集者)さんと打ち合わせを繰り返してて。

    「馬男 -UMAO-」

    「馬男 -UMAO-」

    店員S:ヤンジャンでデビューされる以前にも投稿や持ち込みはされてたんですか?

    浦田:その前にずっと投稿というか、もっと遡っていうと…大学生まで遡っていいですか?大学3.4年生の頃に就活してて、なかなか受からずどうしようと思って。「そういえば俺はマンガを描きたかった!」と。小さい頃に自由帳に描いたりしてたんで。それで最初は週刊少年ジャンプに持ち込みに行ったんですよ。

    マスター:おお!いきなり行ったの?ジャンプに?いい~ねえ~!

    店員S:ギャグ漫画で持ってたんですか?

    浦田:ギャグ漫画で持って行きました。大学の4年生くらいの時に。で、これで上手くいけば就職しなくていいじゃんと思ってたんですよ。

    マスター:上手くいけば連載とってね、いわゆるサクセスストーリーですよ。いいじゃないですか。

    浦田:と思ってたんですけど、持ってったら案の定、このまんまじゃ駄目だなって自分の実力に気づいて。

    マスター:まあ気づくよね、大体そういうもんです。

    浦田:で、やっぱ就職はしなきゃいけないと。親もうるさいし。で、また就活を再開したんですけど、その時に暇そうな会社を選んだんです。マンガを描く時間がありそうな会社を選んで。で、ちょうどいいとこがあって、ホント定時くらいで上がれる会社だったんで。

    マスター:それはどんな会社だったの?

    浦田:一応デザイン関係の。

    マスター:ほおお~、でもデザイン会社でそんなにきっちり帰れる所ってあるの?

    浦田:なかなかないですよ。だからすごいラッキーだったんですよ。だいたい定時に上がれるんで、そっから夜とか土日に描いてるって感じで。まあたまにはちょっと残業もあったんですけど、基本的に暇でしたね。特に会社入って辞める直前なんかはすごい暇で、仕事がないんですよ。行ってもやることがなくて。

    マスター:その会社入ってマンガ描きながらコツコツ投稿してたんだ。

    浦田:あいかわらず持ち込みしてたんですけど、ジャンプはやっぱりハードル高そうだなと思って、次にチャンピオンに持ってったんですよ。最初に持ち込んだジャンプでは、あんまりツッコミのないギャグ漫画を持ってったんですよ。そしたら編集者に言われたのは、「読むのは子供だからツッコミがないと笑いのポイントが分からない。だからツッコミを入れなさい」って。

    マスター:ギャグの中に必ずツッコミを入れろと。

    浦田:それから僕、ちゃんとツッコミを入れるようにしているんですよ。それくらいしか言うことがなかったのかもしれませんけど。その後チャンピオンに行く直前の時期、実はいろんなとこに持って回りました。ガンガンとか、サンデーとか少年系はほとんど回って。で、その中ではガンガンが一番酷かったです。

    マスター:ガンガン言われちゃったんだ。

    浦田:……。いや、ホントなんかもう相手にしない感じの「こんなんじゃダメだよ」みたいな。「全然面白くない」みたいな。

    マスター:それもギャグ漫画?

    浦田:ギャグです。で、それと同じ物をチャンピオンに持ってたら「面白い」って言ってくれて、あ、全然違うなと思って。言うことが。

    マスター:そうそうそう、出版社によってやっぱりみんな違いますからね。えーそれで?

    浦田:そっから1年ちょっとはチャンピオンのお世話になったんですけど、そこでちっちゃい賞を1回貰ったんですよ。

    マスター:おお、すごいすごい。

    浦田:ホント1万円とか2万円の賞を1回もらっって、でいろいろ担当さんについてやりとりしているうちに、絵がちょっとまだ下手だから何とかした方がいいと言われて。「オススメの漫画専門学校があるぞ」と。

    マスター:大丈夫か、なんか胡散臭くなってきたぞ!

    浦田:某漫画専門学校があって、実はその担当さんの友達が生徒だったんですよ。

    マスター:友達が生徒?

    浦田:後々分かったことなんですけど、そのチャンピオンの担当だった人も実は漫画家志望で、ホントは描きたいけどとりあえず就職してチャンピオンの編集さんになったらしいんです。だからその繋がりがあってその学校があったと。

    マスター:それを紹介されてたわけだ。…え?それでまさか入ることになるの?

    浦田:入りました。

    店員S:ええええ…。

    マスター:どんな学校なんですか?プロの編集が薦める学校ですから。

    浦田:教えるのは…漫画家さん?あんまり…知らない漫画家さんとか、元編集とか元漫画家さんの人かな?

    マスター:まあ、でも漫画家さんから直接教えていただけると。

    浦田:でも、結局授業は途中から行かなくなっちゃって。

    マスター:行かなくなっちゃったんだ、金払ったのに。

    浦田:後半はいかなくなっちゃいましたね。仕事は普通に週5でありますし。授業より良かったのは漫画描く仲間ができたっていうのと、後は授業外でネームを見てくれるんですよ。先生たちが。卒業後もネームを見てくれたので、それはすごくタメになりましたね。だから結果的には良かったです。

    マスター:良かったのかよ!で、そこの学校で途中で辞めちゃった後に、仕事も辞めちゃうんでしょ?

    浦田:仕事を辞めるのはデビューした後なんですよ。仕事始めて4年目くらいにやっとデビューできて、その年末くらいに辞めたんですよ。デビューした後、第2弾も載って、第1弾のその馬男のアンケートがまあまあ良くて、でこれは俺ももう自分でも「イケる」と思ったんですよ。担当も「イケる」って言ってたので。編集長も面白いっていってるって聞いて。

    マスター:ありがちだよ、それ。編集長が言ってるとか、誰だれが推してるとか俺、絶対信用しねえぞそんなの!

    5

    浦田:で、てっきり「連載はほぼいけるだろう」と。だから辞めたってこともありますよね、会社を。なのに連載が決まらず、完全ニートですよ。収入ゼロで、ホント半年くらい何にも働いてなくて、でもこれじゃあいかんと。精神的にやっぱり病んでくるんですよ。ネームもうまくいかないし、金も稼いでないし。

    マスター:そうだよなあ、あれキツいんだよなあ、メンタルなあ。

    浦田:そう、飯だけ食ってホントに何にも生み出してない社会のクズじゃねーかと。

    マスター:無駄に顔だけイケメンだしなあ。

    浦田:いやいや、で、それを察した担当が、じゃアシスタントやってみる?って話になって、ヤンジャンの当時の担当に紹介してもらったんですよ。 ヤンジャンで「◯王」って漫画描いてたI◯紀◯先生っていう。

    マスター:◯王!?マジであの有名な…うわーすごいですね。それでどうだったんですか?

    浦田:いやあやっぱり全然…僕はその頃まではずっとアナログで描いてたんですけど。

    マスター:アナル?

    浦田:アナログです。で、そこが全部デジタルだったんですよ。だからまずコミスタ(コミック描画ソフトの1つ)もいじれなかったし…

    マスター:そうか先生はもうデジタルだったんだ。

    浦田:ただデザイン会社でPhotoshopは使ってたので、コミスタは先輩とかに教えてもらってやってましたね。

    マスター:じゃあそれで教えてもらって、アシスタントを一生懸命やれば逆にお金もらえるんだ。で、先生はどういう人だったんですか?

    浦田:いやホントすげーイケメンなんですよ、おじさんなんですけど。50歳くらいなんですけど、ホントに◯王に出てきそうなロン毛で茶髪でみたいな。

    マスター:へー。アシスタントは漫画家としての近道になるんですか?

    浦田:僕の場合はアナログをまったくやったことがなくて。

    マスター:え、アナル?

    店員S:もういいよ。

    浦田:先生はデジタルで、結局、今は僕は全部デジタルで描いてるんですけど、デジタルのことは全部そこで学べたんで良かったですね。コミスタも全く使えなかったのがだいたい使えるようになって。だからそういう意味では役に立ちましたね。でも未だにアナログでは何にもできないんですよ、僕は。ベタフラも描けなければ…。アナルくんまではアナログで描いてたんですけど、Gぺんなんかも、へたくそすぎて使いづらいなとは思ってたんで。「僕おじ」はオ―ルパソコンです。ヘタクソだからアナログに見えるだけで。結局、そのアシスタント先にも3年以上いて、やっぱり最初は半年1年くらいで辞めようと思ってたし、それまでに連載を決めるつもりで入ったんですけど、3年かかっちゃった。

    =>持ち込みに行くと新人担当しかつかない?
  • もりた毬太

    「もりた毬太」プロフィール

    漫画家・漫画原作者。代表作に『俺が童貞を捨てたら死ぬ件について』(comicメテオ)、『正しいコドモの作り方!』(少年サンデー)など。
    twitter:もりた毬太@moritamarita

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  • 奈央晃徳先生-プロフィール画像

    「奈央晃徳」プロフィール

    コミックマーケットで講談社の編集者にスカウトされ、大学在学中に朝基まさし、小林尽のアシスタントを務めたのちマガジンSPECIALにてデビュー。代表作「サイコバスターズ」、「トリニティセブン 7人の魔書使い」。「トリニティセブン~」は2014年10月からアニメ放送も予定されている。


    twitter:奈央晃徳@naoakinari
    奈央晃徳の作品はまんが王国でも配信中!
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  • てんま乱丸

    「てんま乱丸」プロフィール

    漫画家。1994年、コミックガンマにて「幻想世界英雄烈伝 忍ザード」(原作:岡田芽武)でデビュー。代表作は「幻想世界魔法烈伝 WIZバスター」(月刊少年ガンガン/月刊ガンガンWING)など。
    twitter:てんま乱丸@syousuuha

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